遅ればせながら評価の高い映画『扉をたたく人』The Visitor を見た。移民問題ウオッチャーとしては、見ておきたい作品のひとつではあった。これまでかなりの数の移民にかかわる作品を見てきたが、佳作であることは間違いない。
ストーリーについては、すでに新聞映画欄(公式サイト)その他でかなり紹介されているようので、触れることをしないが、9.11以後のニューヨークの光景が興味深かった。たとえば、スタッテンアイランドへ行くフェリーからの景色だ。ワールド・トレードセンターがなくなったマンハッタンの光景は、どこか別の都市のように映る。
作品が対象とする状況は、厳しさだけが目立つようになった不法移民への対応だ。ブッシュ政権が果たし得なかった包括的移民政策の暫定状況が生みだしたものだ。アメリカに居住している1200万人近い不法移民のかなりの部分が経験している日常の光景でもある。オバマ政権に移行してから、新たな政策は提示されていない。政策の全体像が欠けている中で、現実の対応は不法滞在者という最も弱い人たちに最も厳しい。幸い数は少ないが、本質的には日本の不法滞在者対策にも通じるものがある。
オバマ大統領も就任以来、大不況をはじめとするs難問山積に支持率も低下傾向にあり、移民政策へはほとんど手がついていない。それでも選挙遊説中から公約している以上、秋以降にはなんらかの動きが生まれるだろう。
タイトルの日本語訳『扉をたたく人』(原題:The Visitor)は、よく考えられたものだが、それでも色々な見方が可能だ。思いがけないことから、自分の心の底深く閉ざされていたものに気づかされる大学教授の主人公ウォルター(リチャード・ジェンキンス)の姿。国際経済学者として「開発途上国と経済発展」の研究に過ごしてきたことに虚しさを感じている。世界は進歩しているのか、それとも後退しているのか。とりわけ、多数の移民を送り出すアフリカの実態を見るかぎり、主人公ならずとも、経済学そして先進国の果たしてきた役割に虚しさを感じるかもしれない。移民をめぐる状況が、その一端を示している。形式化した学会と同僚との付き合い。これまでの自分の人生はなんであったのか。
愛する妻にも先立たれ、心の空白を埋めるためにと思って始めたピアノの教習も、60歳を過ぎてはと冷たく告げられる。傷心の主人公は、思いがけないことで知ることになったシリアからの不法移民の青年クレフが演奏するアフリカン・ドラム、ジャンベによって新たな力をもらう。虚ろな心を抱えた主人公が頼るものは、わずかにジャンベだけだった。その響きは閉じたウォルターの心を少しずつ解きほぐす。そして自らも多少関わってしまったことで生まれた友人の苦難をなんとか救いたいと、新たな生き甲斐と力を感じるようになる。青年の母親とのはかないロマンスもそれを支える。
しかし、その努力が実らないと分かった時、エピローグで主人公が地下鉄のプラットフォームで、人目をかまわずジャンベを打ち鳴らす姿は、なにを暗示するとみるべきだろうか。アメリカで合法市民としての地位を得ている大学教授とは誰も思わないに違いない。気の触れた初老の男がジャンベを叩いているとしか見ないだろう。逮捕されシリアへ強制送還された不法移民の友や、図らずもロマンスの相手となった友人の母親がアメリカへ戻ることはない。友も失った主人公に残されたものは、ジャンベひとつ。これから、なにをたよりに生きて行くのか。
原題の邦訳は、よく考えぬかれたものではあるが、なぜ原作者は、The Visitor(訪問者)としたのか。登場する人物の誰もが、この世界で安住の場を持てず、心ならずも漂泊の旅を続けている。国家の厚い壁、そしてそこでは市民といえども、安住しているわけではない。The Visitor(訪問者)は、心の安らぎの場を見出し得ず、あてどなくさまよい歩く現代人の姿でもある。