時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

正しく現実を見る

2009年07月29日 | 書棚の片隅から

 7月28日の全国紙の夕刊そして翌日の朝刊は、2009年度の最低賃金額決定について大略次のように報じていた。

 
2009年度の最低賃金額の改定額の目安が発表された。35県を現状維持とし引き上げを見送り、最低賃金額が生活保護支給額を下回る12都道府県に限って引き上げを打ち出した。その結果、引き上げ幅は全国平均で7~9円と昨年度実績(16円)を下回った。景気後退で産業界の負担に配慮し、賃上げより雇用確保を優先する姿勢を示した。  

 昨年は47都道府県すべてで引き上げを示したが、今回は35県を現状維持とした。昨秋のリーマン・ショック移行の急速な景気後退に配慮した。09年の中小企業の賃金改定率がマイナス0.2%と過去最悪だったほか、失業率も上昇。最低賃金の引き上げの余裕がないと判断した。

出所:「最低賃金上げ、35県見送り」『日本経済新聞』2009年7月28日夕刊
(ここでは、『日経』紙を例にしているが、他の一般紙もほぼ同様な内容の報道である。)

 これを読むと、現在の不況下では、一見やむをえない決定のように読める。しかし、この説明で本当に納得する人は、一体どのくらいおられるのだろうか。新聞は「産業界に配慮、雇用確保を優先」と報じているが、果たしてそういうことになるのか。

 実は、最低賃金の引き上げを実施することが、雇用の減少につながる場合は、他の条件を一定とするというきわめて限られた厳しい前提を設定した特別の場合に限られている。現実の社会ではすべての要因がいわば浮動状態であり、静止していない。現実には、それらの要因を固定化し、賃金引き上げと労働コスト(雇用)に限って、経営あるいは経済への影響を純粋に取り出すことはできない。こうした状況で賃金と労働コスト(雇用)の直接的なリンクを無前提に想定することは、かなり危うい推論だ。

多くの選択肢
 最低賃金を引き上げることで、逆に雇用が増加する可能性もある。高賃金・高生産性が唱えられたこともあった。景気が回復しないかぎり、雇用も増加しないが、賃金が上がらないかぎり、消費も増えない。賃金引き上げが、雇用の減少につながる場合から増加につながる場合を含めて、現実にはかなり多様な可能性(選択肢)があるのだ。

  しかも、仮に最低賃金をこの程度引き上げた場合に、失業が増加することを正確に実証することはきわめて困難なことだ。理論と現実の間には多くの媒介項があり、仮に今回最低賃金率が引き上げられる12都道府県について、雇用の減少が発生したとしても、それが最低賃金引き上げに起因するものか、他の要因によるものか、説得力を持って実証することはきわめてむずかしい。健康診断の際の血液検査のように、早急に結論を出すような標本調査はできない。最低賃金引き上げによって、当該地域に雇用減少という状況が生まれるのは、かなり特別な前提を付した場合に限られる。

 このため、最低賃金の雇用への影響に限っても、欧米でも実証研究の結果は、かなり揺れ動いてきた。それもきわめて厳しい条件を設定した上でのことである。この点は以前にも記したことがある。賃金引き上げと労働コストを短絡して議論することは多くの誤解を生みかねない。 政策効果の判定はきわめて難しく、経験の蓄積が必要となる。

仮説と実証の危険な関係
 最低賃金と雇用の問題に限らず、ひとつの仮説をそのまま現実にあてはめて割り切ってしまうという悪弊は数多い。たとえば、移民を労働力に加えることは、それがそのまま国内労働者の仕事を奪うことにはならない。そうした事態が起きる場合は、特別の状況においてである。同様に、労働時間を短縮することも、現実の社会では必ずしも失業減少にはつながらない。団塊の世代の大量退職が労働力の供給不足と失業減少になるといわれたこともあったが、どれだけ真実であっただろうか。

 男女の採用や賃金面での差別の説明に多用されている「統計的差別の理論」にしても、普遍的な理論ではなく、特定の条件の下で適用されるべき仮説にすぎない。世の中で「差別」という現象を生む要因、メカニズムはきわめて複雑で、単一の仮説で割り切れる場合はむしろ少ない。

 さらに危険なことは、ある小さな仮説とそれに基づく実証と称する作業で得られた結果が、いつの間にか一般化されてしまうことだ。アメリカの専門誌の編集に多少携わって経験したことだが、小さな仮説を立てて、モデルを構築し、それに合いそうなデータを使い、計測結果を出す。そしていつの間にか、その結果が一般的な命題として一人歩きしている。

 世界的な課題である仕事(ジョブ)の創出と消滅の仕組みは、実はかなり複雑だ。いかなる点に問題が潜んでいるか。日本では、たとえば玄田有史さんの力作『ジョブ・クリエーション』(日本経済新聞社、2004年)に、的確かつ精緻に展開されている。

暑さしのぎにはならなかった読書
 これらの問題に関連して、暑さしのぎに(?)、The Natural Survival of Jobsという表題の奇妙さに惹かれて、読んだ一冊がある。最初は比較的軽く読めるかと思ったのだが、読み終わって、かえって暑さが増してしまったような感じがしている。内容は玄田さんの作品の方が格段
に優れていて説得的である。

 しかし、このフランス経済学者(Cahuc and Zylberberg)の作品にも学ぶ点はある。実際に2004年のヨーロッパ経済学賞を受賞している。 この作品(フランス語からの英訳)は、読後感はあまりすっきりしないが、ここに例示したような理論(仮説)と現実の間に横たわる数々の問題点を提示している。大きな本ではないが、大変読みにくい作品で、双手を挙げてのお勧めではない。過度に論争的で、イデオロギーの次元へ傾斜し過ぎているからだ。フランス語からの翻訳にも、問題がありそうだ。

 ただ、読みにくい本ではあるが、労働経済に関わる問題に対する場合、どんなことに注意しなければいけないかという著者の意図はひしひしと伝わってくる。

 ひとつの重要なレッスンは、政府が昨今のように多数の失業者に直面した場合、彼らを雇用の場に戻すためには、きわめて多額な資金とコストを投下しなければならないということだ。失業はひとたびそれが発生してしまうと、その減少のためには多大な支出と犠牲を払わねばならない。失業を経験する人の苦難はいうまでもない。今の世界は、その苦しさをいやというほど味わっている。

 失業をできるだけ生まない経済を創るために、なにをすべきか。現実は仮説の通りに動いているか。別の可能性はないのか。大勢に流されず、時には常識や通念とされることも疑ってみよう。現実は複雑だができるだけ正確に把握する目を養わねばならないと思う。日本の将来を定める大事な選挙を控えた今、次の世代のためにも目前の問題への対応と併せて、広い視野への政策転換を心がけることも必要だ。



Pierre Cahuc and Andre Zylberberg, translated by William McCuaig. The Natural Survival of Work: Job Creation and Job Destruction in a Growing Economy. MIT 2006.

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