余市のウイスキー博物館ステンドグラス
静岡県知事に川勝平太氏が当選したTVニュースを見ていると、思いがけないことが記憶によみがえってきた。オリーヴ・チェックランドさん(Mrs. Olive Checkland)のことだ。ケンブリッジとグラスゴー大学の著名な経済史学者であったシドニー・チェックランド教授の夫人であった。負傷で健康に恵まれなかった夫を支え、長年にわたり研究の助手として生活や調査を助けてきた。夫妻共著としての作品も多い。
1986年夫君の死後、イギリスと日本のつながりに関する研究、執筆に没頭し、立派な業績を残された。たまたま94-95年ケンブリッジ滞在時に知己を得て、ケンブリッジそしてセラダイクの静かなお宅に何度か招かれ、アフタヌーン・ティなどを楽しむ機会を得た。
その当時、最初の頃の話題のひとつとして出てきたのが、チェックランドさんが著されたIsabella Bird and a Woman’s Right: To do what she can do well であった。その翻訳(『イザベラ・バード 旅の生涯』(日本経済評論社、1995年)をされたのが川勝平太氏の夫人、川勝喜美さんであり、完成したばかりだった。
当時、チェックランドさんは、日本のニッカ・ウヰスキーの創始者であった竹鶴政孝(1894-1979)の生涯について調査と執筆をされており、お茶をいただきながら話し相手になって、文献探索などで多少のお手伝いをした。竹鶴は北海道からグラスゴーへウイスキーの醸造を学びに行き、そこで生涯の伴侶となったリタに出会い、周囲の反対にもかかわらず、1920年に結婚、帰国して1934年に北海道余市に後年「ひげのウイスキー」で知られるニッカ・ウイスキーの醸造所を設立したことで知られる*。
チェックランドさんは当時70歳台半ばでいらしたが、知的活動はきわめて活発で、さまざまなことに関心をもたれていた。とりわけ、日本の明治期の歴史に造詣が深かった。初対面の時から大変親しくしていただいたのであまり感じなかったが、イギリス人にとってはある威厳が漂うのか、The Times Obituary(「タイムス」紙追悼録) *2 によると、ファーストネームではなく、Mrs.Checklandと呼ぶ人が多かったらしい。高齢になっても、自分の信念をしっかりと確立されていたことがそうした雰囲気を感じさせたのだろうか。しかし、優しい方で決して近づきがたい人ではなかった。
チェックランドさんの調査研究をお手伝いして感じたことは、長年の研究生活の中で身につけた流儀をしっかりと守っていたことだ。トピックスによって、色の異なる手漉きの用紙を使い、重要と思うことはしっかりとメモをとっていた。すでにPCもかなり普及していたが、ノートについても自ら書き留め、自分流のやり方をしっかりと保持していた。2004年に84歳で亡くなられたが、最後まで知的好奇心と親切な心を維持され、私の人生でも心に残る素晴らしい方の一人だ。
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Olive Checkland. Japanese Whisky, Scotch Blend: The Japanese Whisky King and His Scotch Wife Rita、(『リタとウイスキー―日本のスコッチと国際結婚』 和気 洋子 (翻訳) (日本経済評論社、1998年)
*2 現在は自動的アクセスはできません。