Buűste der Kőnigin Nofretete
Neues Reich, 18 dynaste (Armana-Zeit) um 1340 v. Chr. Kalkstein
Staatliche Museen zu Berlin-Ägyptisches Museum
9月号の『芸術新潮』の特集は「エジプト美術世界一周」だった。ヨーロッパ近世以降はともかく、はるか文明の創始につながるエジプト美術は特に関心を持って調べてきたわけではない。しかし、あのH.G.ウエルズの『世界文化史大系』にのめり込んだ頃から脳裏に刷り込まれてきたのか、いわばミーハー的関心は強く持っていた。
とりわけ、ベルリンの国立エジプト博物館には魔力のようなものを感じ、ベルリンに行く機会があれば他の場所はさておき、ここだけは欠かさずに訪れてきた。したがって、「ネフェルティティ王妃」には東西冷戦の時代から、何度となくご対面してきた。ナチスが最後の最後まで隠匿していたという至宝だ。展示されるようになってからも、最初から防弾ガラスの箱の中にお過ごしのようだった。いうまでもなく、ネフェルティティは世界史を飾る絶世の美女であることは、ほとんど否定する人がいない。もしかすると、その時代を超えての怪しい魅力にたぐられているのかと今頃になって気づいた。
ネフェルティティはエジプト史上最激変ともいわれるアマルナ王朝、アクエンアテンAkhenatenの第一王妃といわれる。時代はBC1334-1351頃だ。像をひと目見れば、クレオパトラに匹敵する美貌であることは間違いない。片眼が入れられていないのは、像が未だ制作途上にあるからともいわれている。脱落したのかとも思って,文献をいくつか見てみたが、完成像ではないらしい。そうだとすると、なぜ片眼を最後まで未完成のままに残したのか。もしかすると、日本のだるまさんのように、願いがかなったら入れられたのかもしれない。「王家の谷」深く放棄されたように長らく埋葬されていたミイラは、アマルナ時代の女性のファラオだったといわれる。これがネフェルティティだったとすると、彼女の目はなにを見ようとしていたのだろうか。少し考えてみると、エジプト美術では、目に不思議な力を秘めた作品が多い。謎は深くあの世まで持ち越しそうだ。