ブログで話題にしたばかりのエジプト古代史を飾る王妃ネフェルティティの胸像だが、ドイツとエジプト政府の間では係争の対象になっている。車中でふと聞いたBBCによると、1907年から第一次大戦が勃発するまでの間に、彼女がエジプトのエル・アル・アマルナ砂漠の砂中から、ドイツ人考古学者ルードウイッヒ・ボルヒアルトのティームによって発掘、発見されてからおよそ100年が経過した。
胸像自体は、古代エジプトの彫刻家で名前が確認されているトトメスが、3400年くらい昔に石灰岩の塊から制作した。発見されたのも工房跡だったようだ。この当時からエジプト政府は、自国の貴重な発掘遺産が国外に出ることに厳しい対応をしていた。王妃の胸像は「石灰岩の王妃の首」とのみ書類記載され、巧みにベルリンへ持ち出されたらしい。第二次大戦後、ベルリンのコレクションが連合国に接収された時も、この胸像だけは見つからなかった。このあたりはかなりミステリアスな話になっている。
ネフェルティティは、今年ベルリン新美術館の屋根の下に移った。この美術館は、イギリスの建築家デイヴィッド・チッパーフィールドにより手がけられた新美術館 Neues Museumだが、完成まで10年近くを要した。
ネフェルティティがしばらくいた美術館は第二次大戦でひどく破壊され、東西ドイツ統一時もひどい状態だった。美女の流浪・遍歴の旅は終わったわけではない。
エジプトの古代遺物保存庁の事務総長ザヒ・ハワスは、ドイツのプレスに「私は確信しているが、彼女が合法的ではない形でエジプトを離れたのであれば、ドイツが彼女をエジプトに戻すように正式に要求する」と語った。実際、国際裁判所で係争中のようだ。ナチスが最後まで隠し通していた美女だけに、アフガンのカーブル美術館から盗み出された至宝のようには、返してもらえないようだ。ネフェルティティは存命中も激動の日々だったようだが、今も国際政治に翻弄されている。絶世の美女の運命やいかに。