サガニ川河口付近
「9月1日、われわれはその港からカナダへ向かって進んだ。そして、港から15リーグ(1リーグは約4.8km、およそ70キロ)ほど西南西へ航行した時、大河の真ん中に3つの島を見つけた。島の向こうに大変深く、流れの速い川があった。それがサガニー王国とその土地へ向かう水路であり、道だった。」 ジャック・カルティエ 『カナダ探検記』
「サガニ(サグニ)王国」"Kingdom of Saguenay" (仏:Royaume du Saguenay)の名を知っている方は、かなりの北米通といえよう。セントローレンス川とハドソン川については、興味深いことが数多いのだが、とても簡単には書き尽くせない。小説家なら、長編小説、大河小説?が書けそうだ。
ただ、ケベックについて断片を記した関連で、思い出したことを少しだけ書くことにしたい。「サガニ川」*は、セントローレンス川をケベックから少し下った左岸で合流する最大の支流である。合流点付近は、大洋を航海する船が航行できるほどの大きな川であり、氷河が残したフィーヨルドがある。水深も深い。謎の「サガニ王国」は、このサガニ川をはるか遡った奥地にあるといわれてきた。
この王国の中心には、美しい湖水地帯があるといわれてきた。今日ではサン・ジャン湖 Lac Saint-Jeanと呼ばれる地域のようだ。長い間、そこへ到達するには、セントローレンス川との合流点タドウザックTadoussac からサガニー川を遡る以外に手段はなかった。タドウザックは1600年にフランスがこの地域で最初に植民拠点とした、カナダで最古の港だ。世界で30の最も美しい港のひとつに挙げられている。しかし、その名を知る人は少ない。
「サガニ王国」の名が最初に歴史に現れるのは、フランス人でカナダの発見者だったジャック・カルティエ Jacques Cartier (1491―1557)が記した1535―36年の旅行日誌が初めてのことらしい。フランスそしてイギリスの王たちが、新大陸での利権を争っていた16-17世紀の頃は、かなり知られていたようだ。「王国」(Kingdom, Royaume) の名は、そうした遠い冒険時代の伝説的な響きを秘めている。
元来、「サガニー王国」は、北米の先住民族アルゴンキン・インディアンの伝説から生まれたらしい。それによると、この地域の北方に金髪で金銀、毛皮で豊かに暮らす人々が住む地があると伝えられてきた。ちなみに「カナダ」というのもイロコイ族の使っていた地名だ。
本格的な植民が始まる以前の時代、セントローレンス川自体が探検の対象であり、地理的にも謎めいた話が多い地域だった。フランスは、17世紀、あの敏腕・狡猾な宰相リシリューが新大陸に布石を打っていた時代でもある。このケベックからセントローレンス川の左岸の奥深く広がる広大な森林・湖沼地帯は、ヨーロッパでは金や銅などの資源、豊富な毛皮の産地として豊かだが、神秘的な土地として話題となっていた。
カルティエは最初の航海の時に、インディアンの部族長ドナコナ Donnacona の息子をフランスへ連れて帰り、この謎の王国の話を聞き出したともいわれている。その話がどれだけ真実性をもっていたのか、今となっては分からない。何らかの目的でつくり出された架空の話であったのかもしれないし、初期の探検家、山師などの姿から先住民が想像したのかもしれない。
16世紀には数少ない探検家、山師、漁師、商人、宣教師などが、この幻の王国の伝説に誘われて、山奥深く分け入ったにすぎない。この王国の存在は、度重なる探検家などの探索でも確認されていない。利権争いの中で生まれた架空の、王無き王国であったのかもしれない。この地域に白人の定住者が入ったのは確認されるかぎりでは1838年のことであった。当初は毛皮貿易、農林業、そして19世紀になって電力、そしてアルミニウム、製紙などの産業が立地する地域になった。
サガニ川はサガニ地溝帯を流れ、合流点タドウザックはベルーガ(白いるか)が多数見られ、ホエール・ウオッチングができることでも知られる景勝地だ。太古の昔、氷河が大地を深くえぐった跡が豊かな水の流れる大河となっている。水量も豊かで、初期の探検家たちが東洋への水路ではないかとして、さぞかし心を躍らせたのではないかと思う。この地域を旅すると、サミュエル・ド・シャンプラン、ジャック・カルティエ、あるいはリシリューなどの探検家、宣教師、政治家などの名前をつけた道や地名に出会う。リシリューの名にカナダで会うとは? 17世紀の世界の広がりは面白い。先住民でもあるインディアン部族の名前に由来する場所も多い。幻のサガニー王国は果たして存在したのだろうか。
白い部分のどこかに「サグニ(サガニー)王国」があった?
セントローレンス、ガテナウ付近の紅葉
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綴りはSaguenayだが、土地の人の発音は「サガニ」に近い。