時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

漂泊のアフガン至宝

2009年10月05日 | 絵のある部屋

ベグラム発掘の聖杯
Vase sur pied
Trésor de Begram
Verre bleu
H. 9.0cm; o 6.5cm
Photo YK



  激しい戦火による破壊と略奪の中から勇気ある博物館員の手でかろうじて救い出され、アフガニスタン、カーブル宮殿の地下深く隠されていた秘宝は、その数は少ないが、輝かしい光と壮麗な美しさで人々の目を引き寄せ、大きな感動を与えた。パリのギメ美術館で一般公開された後、トリノ、アムステルダム、ワシントンD.C.、ヒューストン、サンフランシスコ、そして閉幕したばかりのニューヨーク(メトロポリタン)と、文字通り世界中を流転する旅をしてきたのだ。メトロポリタンの次の行き先は、カナダのオタワになっている。
 
  だが、こうした企画展の背後で人間が犯した暴虐と愚行のすさまじさについて、企画展を見た人々のどれだけが、思いを馳せただろうか。展示品が素晴らしい、感動的だという印象だけでは、到底片づけられない大きな問題が横たわっている。展示品のいくつかは、タリバンによって一度は完全に破壊された聖杯や象牙の彫刻のように、残った断片からかろうじて復元されたものだ。

 東西交易の十字路に位置した古代アフガニスタンの地は、中央アジアに燦然たる文明が輝いた栄光の場でもあった。歴史の流れの中で、この地に集積した文明の遺産の数々は、そこに生きる人々の大きな誇りだった。しかし、アフガン戦争の過程で、そのほとんどは略奪の対象となり、逸失、消滅してしまった。カーブルの美術館から持ち出され、外国に流出した所蔵品もある。もしかすると日本も荷担しているのかもしれない。バブル期の1980年代に、日本や中東のコレクターなどの手に渡ったともいわれている。真偽の程は分からないが、そうしたうわさは聞いたことがあった。

 終了したばかりのメトロポリタン美術館の企画展の後、これらの至宝がどこに落ち着くことになるのか、現在は全く当てがないといわれる。戦火で破壊されたカーブル美術館は、もはやその場所ではなくなっている。アフガンの戦火が治まった後、安住の地が定まるまで、展示品は世界中をさまよう以外に道はない。オーストラリア、日本などの美術館へ旅をする可能性も残されている
。落ち着き場所が定まるのはいつの日か、まったく分からない。こうした不安定な旅を続ける間に、コレクターなどに買い取られて、脱落してゆく至宝もある。

 カーブルの至宝は、アフガン民族の栄光と誇りの象徴だ。カーブルの安住の地に収まるまで何が起きるか分からない。アフガニスタン復興のために、真に日本が寄与でき、後世ににわたってアフガンの人々から感謝される仕事は、給油活動ではなく民政や文化の分野で多数残されている。



Medallion with a bust of a youth
Afghanistan, Begram
National Museum of Afghanistan, Kabul, 04.1.17
Photo: © Thierry Ollivier / Musée Guimet


  From October 23, 2009, to March 28, 2010, in Gatineau-Ottawa, Canada. Afghanistan’s Hidden Treasures,  Canadian Museum of Civilization From October 23, 2009 to March 28, 2010

 
この博物館はオタワ近郊、ガテノー公園の一角にある。かつて若い頃キャンピングカーを駆って、宿営した場所の近くだ。夏でも明け方は寒さに凍えた。テントの前を大きなムース(大鹿)が悠々と歩いて行ったことを思い出した。自分の将来も定まらない日々だったが、不安はなく、希望と自信に満ちていた時だった。

# この記事を書くについて、有益なコメントをお送りいただいたcestnorm, R.K.さんに感謝したい。

コメント
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