高校時代に、黒板の文字が見えにくいのが気になり、コンタクトレンズを利用したことはありますが、メガネが必要なほど近視ではありませんでした。
左目が0.3ぐらいでしたが、右目が1.0近くだったので、近視のメガネは使ったことがありません。
そんな具合の目でしたから、老眼になるのもゆっくり加減だったのです。
ーー私よりいくつか若い人でも、パンフレットを見えない、見えない、と困り果てているのを横目で見ていたこれまででした。
仕事場では、契約書の約款の細かい文字は、到底見えなくて、慎重を期して老眼鏡を掛けたり、虫眼鏡をいつも手元においていました。
印刷数字の5と6、そして8などとの判別は、厄介で、眼鏡と拡大鏡(シャンボ虫眼鏡)を重ねたりもして、時には無様な仕事振りではありました。
でも、平時は眼鏡不要の生活だったのです。
それが、それが、この還暦という曲がり角に来て、新聞を読むときに、先ず眼鏡を探すのが日常。地下鉄の中で本を読むときも、眼鏡無しで何とか、というわけには行かなくなりました。
ああ、このくっきりとした転換。
これから先は、もっともっと、眼鏡のお世話になるのでしょう。
その、面倒さの分だけ、日々の読んだり、取り掛かったりの、ペースが落ちるのでしょうね。
これでも、老眼の進度はゆっくりなのでしょう。
近視の人が言っていたことを覚えています。
文字を読むときの眼鏡。
パソコンを使うときの眼鏡。
普段の生活のときの眼鏡。
それぞれ度数が違って、面倒なのですよ、と。
長いこと、眼鏡無しの便利が普通だったから、少しの不都合に、ぼやいている案山子です。
あー面倒!
首からぶら下げる眼鏡を買おうかしら!
なんて。
それって、おしゃれっ気にマイナスですか?
左目が0.3ぐらいでしたが、右目が1.0近くだったので、近視のメガネは使ったことがありません。
そんな具合の目でしたから、老眼になるのもゆっくり加減だったのです。
ーー私よりいくつか若い人でも、パンフレットを見えない、見えない、と困り果てているのを横目で見ていたこれまででした。
仕事場では、契約書の約款の細かい文字は、到底見えなくて、慎重を期して老眼鏡を掛けたり、虫眼鏡をいつも手元においていました。
印刷数字の5と6、そして8などとの判別は、厄介で、眼鏡と拡大鏡(シャンボ虫眼鏡)を重ねたりもして、時には無様な仕事振りではありました。
でも、平時は眼鏡不要の生活だったのです。
それが、それが、この還暦という曲がり角に来て、新聞を読むときに、先ず眼鏡を探すのが日常。地下鉄の中で本を読むときも、眼鏡無しで何とか、というわけには行かなくなりました。
ああ、このくっきりとした転換。
これから先は、もっともっと、眼鏡のお世話になるのでしょう。
その、面倒さの分だけ、日々の読んだり、取り掛かったりの、ペースが落ちるのでしょうね。
これでも、老眼の進度はゆっくりなのでしょう。
近視の人が言っていたことを覚えています。
文字を読むときの眼鏡。
パソコンを使うときの眼鏡。
普段の生活のときの眼鏡。
それぞれ度数が違って、面倒なのですよ、と。
長いこと、眼鏡無しの便利が普通だったから、少しの不都合に、ぼやいている案山子です。
あー面倒!
首からぶら下げる眼鏡を買おうかしら!
なんて。
それって、おしゃれっ気にマイナスですか?