日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

還暦の頃、私の場合

2009-10-23 07:32:32 | 私の雑感あれこれ
高校時代に、黒板の文字が見えにくいのが気になり、コンタクトレンズを利用したことはありますが、メガネが必要なほど近視ではありませんでした。
左目が0.3ぐらいでしたが、右目が1.0近くだったので、近視のメガネは使ったことがありません。
そんな具合の目でしたから、老眼になるのもゆっくり加減だったのです。
ーー私よりいくつか若い人でも、パンフレットを見えない、見えない、と困り果てているのを横目で見ていたこれまででした。

仕事場では、契約書の約款の細かい文字は、到底見えなくて、慎重を期して老眼鏡を掛けたり、虫眼鏡をいつも手元においていました。
印刷数字の5と6、そして8などとの判別は、厄介で、眼鏡と拡大鏡(シャンボ虫眼鏡)を重ねたりもして、時には無様な仕事振りではありました。
でも、平時は眼鏡不要の生活だったのです。

それが、それが、この還暦という曲がり角に来て、新聞を読むときに、先ず眼鏡を探すのが日常。地下鉄の中で本を読むときも、眼鏡無しで何とか、というわけには行かなくなりました。

ああ、このくっきりとした転換。
これから先は、もっともっと、眼鏡のお世話になるのでしょう。
その、面倒さの分だけ、日々の読んだり、取り掛かったりの、ペースが落ちるのでしょうね。

これでも、老眼の進度はゆっくりなのでしょう。
近視の人が言っていたことを覚えています。

文字を読むときの眼鏡。
パソコンを使うときの眼鏡。
普段の生活のときの眼鏡。
それぞれ度数が違って、面倒なのですよ、と。

長いこと、眼鏡無しの便利が普通だったから、少しの不都合に、ぼやいている案山子です。

あー面倒!
首からぶら下げる眼鏡を買おうかしら!
なんて。
それって、おしゃれっ気にマイナスですか?

コメント (2)
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