日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

邱永漢の「予見力」  (玉村豊男著)から

2010-03-09 12:27:50 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
あのお金儲けの神様、といわれる邱永漢氏に、エッセイストであり、絵も描き、ワイナリーも経営している玉村さんが、聞き書きして本にしたものです。

その中からの一節を引用します。

「昔からいっているのですけれど、世の中は二種類の人間に支配されてきたんです。物乞いと、ヤクザ。物乞いの親分は坊さんで、ヤクザの親分は王様です。毛沢東はその両方を傘下に置くことができたんです」
―― なるほど。
「ヤクザは舎弟にメシを食わせるけれど、坊さんは、みんなにメシを食わせるだけの能力がないんです。本人自身がお布施で暮らしているんですから。ダライ・ラマは坊さんの親方だから、チベットの人たちにメシを食わせることはできません。ローマ法王もそうですよ。だから、かつてはヨーロッパ全体を支配していたのに、いまは、あんなちっぽけな、バチカンの囲いの中に閉じ込められているじゃないですか。人にメシを食わせることができなかったら国を支配することなんてできないのです」

邱永漢氏が現在手掛けているという中国での農業関連の話題が多かったことから、チベットの独立の可能性云々で、彼は上記のように言及しています。

生き馬の目を抜く社会を、予見力をパワフル使ってに生きて来られた氏の台詞。社会把握の総括のように思えて、本の終章に出てきたフレーズをここに、転記しました。

そういえば、古代ローマのオクタビアヌスも、長曽我部元親も、兵士の俸給、分け前を気にしていた。現代の企業の社長さんも、社員にメシを食わせる役割に懸命なのでしょう。
どうでしょうか。
コメント
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