日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

子供暦というのだろうか(笑)。

2010-03-08 21:43:28 | 私の雑感あれこれ
夫婦で沖縄旅行に行ったのは、いつだったか、という話になって、
私「あれは、末娘が中学1年のときの6月だったから、199○年のハズ」と。
夫「いや、○周年のときだったから、高校1年じゃないか」
私「あの朝、中1の娘から、予防接種のための検温を忘れたけれど、どうしよう、と空港にいるときにPHSに電話がかかってきて、そんなこと聞かれてもどうしようもないわねー、と答えた覚えが…」
「○ちゃんのお父さん、お母さんは、子供たちに留守番させて旅行するのね、といわれたと、娘が口にしたのを覚えているから、あの時は…」

と喧々諤々の結果、
夫の日記で確認してみることにした。
最近は10年日記のふた回り目だけれど、その199○年だとすると、まだ10年日記がスタートする以前になる。
で、案の定、10年日記には出てこない。
やっぱり、私の記憶の正解の可能性が高まる。

そして、ありました。
10年日誌をつけ始める前の日記が。
そして、ピタリと、199○年6月に、沖縄に行ったと書かれてあるのです。
証拠あり!です。

で、日記である大学ノートの隣のページに、
なんとまあ、
「遺言書」とあります。
私の財産をすべて、妻○子に相続させる。
199○年6月○日
氏名、押印

ノートの1ページであっても、確かに自筆証書遺言に違いありません。
書いた本人もすっかり忘れて、勿論私も知りませんでした。
ぶっきらぼうに、ノートを「大事に持ってろよ」と、夫。

先程来の、沖縄へ旅行した年は?論争をしなければ、目にすることもなかったものを、
こんなことがきっかけで、「遺言書」が出てこようとは!

その頃は、私たちは齢40代の始め。
なんで、こんなことを書こうと思ったのだろう、と、思い巡らす。

判明。
次のページに、夫の韓国旅行があった。
沖縄行きが、私の始めての飛行機体験だったし、続けて韓国旅行があったりして、事故死を話題にしたりしたのでしょう。
住宅ローンを抱えて、教育費が膨らみ始める頃、
若くてエネルギーがあった分だけ、抱えているものもいっぱいあったのだ。

ローンの支払いも教育費支出も卒業してから随分たちました。
あの頃は、今の心境になることなんて、想像することもなく、一生懸命でした。
あの頃の、一生懸命だった自分たちを愛おしくさえ思えます。

その時々の課題を抱えて、そして今も今なりの課題を定めて、
日々を送っています。

同級生の私たち。
どっちが先に逝くのか分からないけれど、
ほら、これ、もっていろよ、
と、大学ノートを持ってきたことが、和やかだ。

まだ、私たちにはそれはまだ先のこと、と思っているものだから、
深刻さからは程遠いのですが、
思いもかけず、ノートに、遺言を書こうと思った、40代始めの夫を想像してみたりした。

私が過去を振り返るとき、その年月を思い出すのに、子供のその時々の映像が私の記憶を手助けしてくれる。
母親の特典でしょうね。


脚注)
遺言はいつでも書き直せます。そして、一番最新のものが、遺言の効力を持つのです。(笑、…笑うところではないか)



コメント
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