日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

飛騨高山の旅行で。

2009-05-26 05:24:02 | 私の雑感あれこれ
一日目は飛騨の里へ。
こいのぼりが泳ぐ風薫る五月でした。

※この地方は、5月の節句を旧暦で行なうそうです。

1週間前のテレビの「人生の楽園」という番組で、古民家を再生した建物で暮らし始めたご夫婦の話がありました。
伝統的な日本の建物のどっしりした柱や梁の木組みが力強く、土間も板張りも、そして囲炉裏も、いい!と、あれを目指そう!という心根が芽生えたのです。
で、幸い次の週に高山行きだから、じっくり古民家も見てこれる!そういう楽しみも抱えての旅行でした。

移築された飛騨の古民家、農家が沢山集められて、私の目的は充分満たされました。

まだ私が小学校にも行かないほんの小さい頃の母の実家が茅葺屋根の家でした。
家と離れた納屋には農作業用の牛もいました。

尋ねた古民家は、かつてどこにでもあった日本の家。
当たり前であり、驚くことは無いのです。

ああ、仏間はこんな感じ。
囲炉裏も、土間も。
畳の部屋が田の字にあって、窓側というか軒下側には、小部屋があって・・・。
裸電球は大きい部屋にはあるけれど、小部屋などは外の明かりがたよりで、天井には電灯はなし。

確かに、柱や梁は立派。家具の戸もフンダンに木を使っており、合成材が見当たらないから、年数を経てもそれが味わいともなってくる。

・・・
でも、でも、この生活って、暗くて、寒くて、肉体労働がきつくて、
そういう生活イメージがあわせて頭を駆け巡る。

農作業と行事が中心に生活が回っていた時代。
だったのだろうな、と想像。
きっと、寒い朝も早くから置きだして、火を熾して・・・と。

なんだか、今の生活でいい、
ヨソモノとして眺めるのはいいけれど、かつてここで暮らした生活者の生活より、今の生活を選ぶ、それは私の確信。
誰にも、心の中を語らないけれど、そう思いながら、飛騨の里30分コースを回ってきた。

こんな風に「かつて日本人が暮らした家」として展示するのは、それはよいこと。
沢山の海外からの観光客もいて、ああ観光資源としての価値がある、それは思いました。

うーん、私の古民家再生はどうなった?と自問。
確かにテレビでみた古材を生かした建物はよかったけれど、自分で歩んできた今までを、「かつての暮らし」に押し込められたら、窒息しそう(笑い)、それが実感なのです。
さ~て、どうしよう。

そのまんまではなく、今の生活で取り入れられる部分を拝借すればいいのでしょう。

ああ、スケッチ?
一枚目を四つ切の水彩紙で、生徒の写生会の気分だったのですが、なかなか捗らず、です。


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2 コメント

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やはり、記念品? (serena)
2009-05-26 20:37:11
私の母の実家は商家で、街中にあり古いけれど農家とは異なった造りでした。でもどっしりした簗(?)を見上げながら寝るのがとても恐かったです。夜中にあれが落ちて来たら、丁度首に当るなぁと。
中学生時代には農家の、しかも旧家の友人が居て訪ねることもあり太い簗は同じでしたが、茅葺屋根に趣がありました。夏は涼しく冬は暖かいのがこの屋根の特長とも教えられたし。。。でももう茅葺屋根の職人は消えつつあるのでしょう?
現在あのような家を建てるのは高価すぎるのではないでしょうか。茅葺はみな割安なトタン屋根に替わってしまったことからも頷けます。
とすれば、もはや曲り家であれ、合掌造りであれ、古い日本建築は歴史を垣間見る記念品的存在でしかありえない?
よほどの資産家でもなければ建てて維持していくのは厳しいでしょうね。
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そう、実は私も・・・ (街中の案山子)
2009-05-27 10:02:48
天井が高くて黒く、太い梁、太い欅の大黒柱の中で育ったのです。あの時は、ちっともいいとは思わず、ダイニングキッチンで食事する友人の文化住宅がうらやましかったのに。

骨董品的目線で眺めている限りでは、いいのでしょうが、解体して再生なんて、きっと贅沢なことなのでしょう。いつも見ているその番組は、質素、地味目な暮らしを紹介していたのだけれど、今回は贅沢バージョンだったのですね、きっと。
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