日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

偶然?いや~、たまたま。

2015-04-22 12:51:30 | 私の雑感あれこれ
萩 涙松址
先々週の土日の秋吉台・下関・萩・津和野行きの旅行で、
地味ながらも、持ち帰った思い出の一つに、
ガイドさんの
「向こうに見えるのが、江戸へ向かう時の街道です。松陰もあそこをとおったのですよ。萩との別れを惜しんだ場所に石碑がたっていて、ほらっ、人がふたり、3人いる、あれが松陰の歌が刻まれた石碑です」
説明を受けたシーンがある。

で、翌日曜に、津和野のお店屋さんの熱いお願いもあり、8時からの大河ドラマにチャンネルを合わせました。
ピッタリ、でした。
罪人として籠に入れられて江戸に向かうシーンがありました。
そして、萩に別れを惜しむところが…。
門弟がどこまでも別れを惜しんでついてくるので、ここまでにして、という言葉を交わしたというガイドさんの解説とはチトちがったけれど。







http://hagi-okan.yamaguchi-city.jp/


なんだか、時期がピッタリなんで「!」でした。


■ガントリークレーン
これも直近のテレビのことです。NHKの「ぶらタモリ」というタイトルでしょうか、タモリさんが長崎を歩いていました。
当地の観光ガイドさんが合流なさいました。
長崎は造船所が多い町ですね~、と普通の話題。
風景の中に見えるクレーンをさして、「あれは〇〇クレーン」「あれは…」と、歩は進みます。
ワタシ、心の中で、「ガントリークレーンだったら知っているのにな~」と。
読書中の吉村昭著「戦艦武蔵」のなかで、巨大戦艦を作るにあたって、重量に耐えうるクレーンをどういう風に作るか苦心惨憺だった内容を思い出していました。

で、
「向こうに見えるのは、ガントリークレーンです」とガイドさん。

えっ!
出てきた!

「ここで、あの、最近(沈没しているのが)見つかった戦艦武蔵が作られました。その武蔵を作ったときのクレーンが今も残っています」と。

ほかのクレーンと違って、ガントリークレーンは黒々と空を区切っていた。
不思議!
この番組を見ている人多し、といえども、ほんの数日前に「初めて」ガントリークレーンの顛末を知った人って、いないのでは?

因縁なのかしら?

そこで当時作業をしていた人々の暗くて蒸し暑い過酷な状況までもが、頭の中を巡ります。

タモリさんとガイドさんは当然次の話題に転じていましたけれど。

長崎に行くとしたら、私、ハウステンボスじゃなくて、ガントリークレーンの場所に立ってみたいものです。

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