クラクフのホテルを9時に出発。
クラクフはポーランド第2の都市。人口80万人。人口の4分の1が大学生という学園都市でもあり、教会、大学が多い(こんなところ京都にも似ているかな)。
中央広場に面する聖マリア教会と織物博物館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/fd/0b1d5b3467b51b9c52a87e40de26c4db.jpg)
石畳の街路を転んではいけないと注意しながらテクテク。名物と言われているパン(オブバシャネーク)のお店も街路のあちこちで見かける。ガイドさんの後を連れ立って歩く14名。ユーロ表示の価格表示を円換算しては、「高!」とつぶやいたり。円安だからね~。
バベル城
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/de/8206626d8986e36160b8b90b5763d374.jpg)
チャルトリスキ美術館
大きな手荷物はもっていなかったけれど、コートをロッカーに預けて(QRコード管理でした)入館。
館内の照明が暗くしてあるので、シャッターを使わなければ撮影OKだったけれど、私のスマホでは撮影が厳しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/96/9fcfd7058b69bb5b1344176f33a60d7b.jpg)
件のレオナルドダビンチの「白貂を抱く貴婦人」はメンバーからライン送信してもらった。後日付け足したいと思います。
肖像画はこの美術館の創設者のイザベラ・チャルトリスカ公爵夫人(1746年~1835年)です。彼女はポーランドが消えた激動の時代(※)を力強く生き抜きました。そして祖国復活を願う男性たちが不当にポーランドを奪ったプロイセンやロシアと戦うのを見て、「私は戦うことはできないが、せめてポーランドの文化を守りたい」と、一家が所有する財宝の保護と一般公開を決意した、と
ちなみに、「白貂を抱く貴婦人」息子が美術作品好きの母親のために買い求めたものだ、と聞きました。
(※)ショパンやマリー・キュリーの時代にはポーランドという国はなかった、というのはここと重なるということなのでしょうね。もう少し勉強する必要があります。⇒ ワタシ
昼食はレストランで。
クラクフはポーランド第2の都市。人口80万人。人口の4分の1が大学生という学園都市でもあり、教会、大学が多い(こんなところ京都にも似ているかな)。
中央広場に面する聖マリア教会と織物博物館
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/fd/0b1d5b3467b51b9c52a87e40de26c4db.jpg)
石畳の街路を転んではいけないと注意しながらテクテク。名物と言われているパン(オブバシャネーク)のお店も街路のあちこちで見かける。ガイドさんの後を連れ立って歩く14名。ユーロ表示の価格表示を円換算しては、「高!」とつぶやいたり。円安だからね~。
バベル城
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/55/ccde843b420b62fca95e155c4cfd95d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/de/8206626d8986e36160b8b90b5763d374.jpg)
チャルトリスキ美術館
大きな手荷物はもっていなかったけれど、コートをロッカーに預けて(QRコード管理でした)入館。
館内の照明が暗くしてあるので、シャッターを使わなければ撮影OKだったけれど、私のスマホでは撮影が厳しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/43/5d010b53f133d870a57c912ee031d5d0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/32/9c64fae9120e77c7dbfe15365b0fc0c1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/96/9fcfd7058b69bb5b1344176f33a60d7b.jpg)
件のレオナルドダビンチの「白貂を抱く貴婦人」はメンバーからライン送信してもらった。後日付け足したいと思います。
肖像画はこの美術館の創設者のイザベラ・チャルトリスカ公爵夫人(1746年~1835年)です。彼女はポーランドが消えた激動の時代(※)を力強く生き抜きました。そして祖国復活を願う男性たちが不当にポーランドを奪ったプロイセンやロシアと戦うのを見て、「私は戦うことはできないが、せめてポーランドの文化を守りたい」と、一家が所有する財宝の保護と一般公開を決意した、と
ちなみに、「白貂を抱く貴婦人」息子が美術作品好きの母親のために買い求めたものだ、と聞きました。
(※)ショパンやマリー・キュリーの時代にはポーランドという国はなかった、というのはここと重なるということなのでしょうね。もう少し勉強する必要があります。⇒ ワタシ
昼食はレストランで。
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