日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

「菜の花の沖」は第5巻を読書中。

2016-09-09 07:13:44 | 
行事が盛りだくさんで、あたふたの夏でしたから、読書速度はゆっくりです。
物語は長い。全6巻らしい。
でも、中座しようとは思わない。時間を見つけて、読み始めるとそれは至福の時間になるのです。

自問します。江戸後期(18世紀後半)の船乗りの物語、沖乗り回船の話のどこに共感を覚えているのだろう。知らない世界、知らない仕組みばかりなのに吸い込まれる面白さ。緻密な資料調査のうえで書き上げられた文章に説得力があるのでしょうね。そして、制限でがんじがらめ、身分社会の実態を教えてもらっている思いです。
学術書だったら、私などは読み疲れるところですが、物語構成になっているから頷きながらワクワクと文字を追います。
長編ですから、多くの人物が描かれていますが、どの時代にあっても、理解者はいなくはないのだと、そういう思いにもなります。身分の固定された村落では問題児、反逆児だった嘉兵衛が人の中でどんどん大きな存在になって行きます。その沖乗り船頭としての勇敢さは類を見ないほどだったのでしょうが、知恵と経験を生かし切る生き方に圧倒されます。
司馬さんの物語には、心地よい空気が揺蕩っているように思えているのではないだろうか。理不尽な社会ですから、志かなわず命を落とす人もあります。そんな中にあって、どこかに涼風が吹きぬける風穴というか、頑張っている人が必要とされる場が出てくるところが気に入っているのでしょうか。
とにかく、知ることがいっぱい。日本って、江戸期の日本ってこんな暮らしだったのか、と目からうろこです。

たとえば、一般庶民には木綿も手に入りにくかった。衣類は木の皮をなめして織物にしていた。綿の生産増加のための肥料がほしかった。ニシン、サケなどの搾りかすが珍重され海運業のメイン物産でした。木綿、綿の増産により、綿の入った布団というものが身近になるのです。蝦夷地で取れる鮭を新巻きにして保存可能にしようとすると、赤穂の塩を船で蝦夷地まで運ぶ必要があった。蝦夷地は稲の生産がなされていないから、藁というものもなく、よって、縄、むしろ、ゴザなども、米生産地の東北の寄港地で買って運ぶ必要があった。

このように、ものが行き交う経済社会に入っていくのですが、そもそも幕府はこれが盛んになることをすんなりと歓迎する立場ではなく、船の建造にも規制が多々あって、1本の帆柱の帆布を頼りに操作するのですから海難事故が絶えなかった時代でした。

200年余り前の日本社会の一端を知れる本でもあります。





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