出征兵士を送る
参考資料
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サルスベリの花⇒玉音放送⇒、戦争の悲惨さ=皆さんの反響が大きい。
年齢的に幼く記憶がほんの一握りしかないが綴る。
出征兵士と千人針
「役場からTさんの家にも赤紙が届いたって・・・そいつはぁ、たいしたもんだ・・・』このような話題は、あっという間にの人たちに伝わる。
千人針の道具が順番に各家庭を廻る。千人針は、数多くの人が白い布に針で赤い糸で結び、“魂”を縫いこむと言うものである。あわただしく作り上げるため庭先で一目針縫いで次家に回し、出征兵士の家に届ける。戦場に行き腹に巻きつけて折に触れこの千人針(魂)を見て元気を出し、お国のために頑張って・・・・・という祈りが込められている。そして立派に兵役を果たして「元気に還って来てください」というみんなの願いが込められていて、現代版の赤い糸で結ばれている・・・とでも言うのか。
赤紙が来て数日過ぎる( ? )と「祝・ ○○○○君 出征」と白布地に墨で書かれた垂れ幕が出来上がる。幟として青竹に結び付け出征兵士の家に建てられる。のぼりを先頭に民全員が村道を一列となり送り、役場前へと向かう。各からそれぞれの幟を立てて出征兵士全員がが集結する。
町長はじめ町の有力者の挨拶。
「このたびの○○君の名誉ある出征に際し、一言お祝いの挨拶をいたします。いまや戦局はたけなわ、わが日本帝国にとってまさに決戦のときであります。どうか○○君には粉骨砕身、・・・・・・・撃滅し、戦場で活躍される・・・・・お祝いのことばといたします」
次いで、出征兵士の挨拶
『国のために頑張ります。皆さん行って参ります』の力強い言葉に割れんばかりの拍手。つづいて一斉に万歳三唱。学校の生徒による
ブラスバンドの演奏が高らかに鳴り響く。
出生兵士の歌が流れる。
わが故郷の状況
【戸数 10世帯、出征した家4世帯・5名 戦死者2名】
一、
わが大君(おおきみ)に召されたる
生命光栄(はえ)ある朝ぼらけ
讃えて送る一億の
歓呼は高く天を衝く
いざ征(ゆ)けつわもの日本男児
二、
華(はな)と咲く身の感激を
戎衣(じゅうい)の胸に引き緊(し)めて
正義の軍(いくさ)行くところ
たれか阻まんその歩武(ほぶ)を
いざ征けつわもの日本男児
大陸内部へ戦火が広がるにつれ、2銭のはがきによる召集令状(赤紙)が
若い男のいる家庭に舞い込んだ。
キョウチクトウ
参考文
日本経済新聞(’06,8,9掲載)『 私の履歴書・小堀宗慶(茶道家)』
の文中に・・・・・昭和18年10月21.日。秋雨が、肩に担いだ三八銃を濡らし、ゲートルを巻いた足は水を含み、歩みを進めることに重みをました。明治神宮外苑競技場、今の国立競技場で催うされた『出陣学徒壮行会』で、出征する学徒の一員として行進として長い列に加わっていた。・・・・・・・東条英機首相兼陸軍大臣が激励の・・・・・・・・・・・以下続く。
日本国内で出征兵士を送る会では最大規模であった。