江戸東京博物館で、『美空ひばりと昭和のあゆみ展』と
『始皇帝と兵馬俑展』が開催
資料が平面的で盛り上がりに欠けた・・・。
奇異の地下帝国、スケールの大きさに飲み込まれ、
古代中国のエネルギーのすさましさを知った。
江戸博館内の日本橋。
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今日のメモ
美空ひばりと私
みだれ髪
この音楽を聴いてからお読みください。
江戸博において、美空ひばり展を観てきた。
ポスター、レコードのジャケット、映画の看板等が展示してあった。
昭和の年代の出来事と対比してヒットした歌それに出演の映画、
52年の生涯について並べられていた。
私から見たらあまりにも平面的で期待の半分でした。
平成元年6月24日没、享年52歳と
紹介されていたから今年は、没後17年目に当たり、存命なら69歳である。
同年で、昭和と共に唄いつづけその歌と共に私は成長した。
『不死鳥・美空ひばりin toukyou dome 翔べ、空に向かって』
のおよそ40曲入ったCDを大切に保管し
時々聴いて勇気をもらっている。
当時の歌謡曲は、春日八郎の「お富さん」が大流行であったと思う。
「江利チエミ」「雪村いずみ」の少しポップス調のものが多かった・・・と。今までにも
「歌は世につれ、世は歌につれ」で沢山の歌謡曲が生まれ、口ずさんできたが
「美空ひばり」の歌ついては生涯唄い続けていくだろう。
美空ひばりは既にこの世に居ない。テレビ、ビデオ、CD なる便利な道具があるので本物の歌を、その気になって聴いて、観て、驚き新たな感動を貰っている。
彼女の歌が醸し出す世界、雰囲気、歌唱力は素晴らしいものであった。
没後にもファンが出来ると言うことは、
彼女が類い希な天才アーティストであった証拠でもある。
彼女は「国民栄誉賞」を受賞しているが、日本の昭和時代の文化を語る上で
欠くことの出来ない人物である。
歌にまつわる思い出を記すれば、
ノートのハシ切れを破って鉛筆で歌詞を書きとめ覚えた歌がある。
『東京キッド」
♪ 右のポッケに夢がある
左のポッケにゃチュウインガム
空を見たけりゃ ビルの屋根~
もぐりたくなりゃぁ、マンホール
書き抜いてポケットにねじ込んでおいて覚えた。
戦後の貧しい時代、学校へはワラ草履、お腹が空くとサツマイモとジャガイモを食べた。遊びと言えば、刈り取られた稲株のある田圃で野球をし、バットやボールやグローブは手製だった。そんな少年時代、どこからともなく
流れてきたのが『東京キット』であった。
元気・生きる力・希望を貰った。
歌の原点は、この人にありといっても過言ではない。