笠石集落
ひっそりと山懐に抱かれた風景
はぜ掛けの丸太
笠石集落のわずかに拓けた棚田
笠石は、新田集落のはずれにある大きな石の上にさらに笠の形をした
石が乗っていたことから名付けられたという。
また、水戸藩士・小宮山楓軒の編さんした水戸領地誌『水府志料』の付録として絵図が
掲載されるなど、笠石はその特異性から、江戸時代より地域の人々に知られていて、
地名の由来になるほどに深く浸透していたことが伺える。
風雪に耐え抜いた物置、石垣の上に作られた日当たりよい母屋
軒下に蓄えられた薪材、自然乾燥に任せよく燃えます
ゆったりと干された洗濯物、東京の団地洗濯物とは一味違っていた
廃屋となった牛小屋、マス目の場所が入り口であろう。
右のステンレスが水飲み場。昭和時代の遺物。
南面の土手には福寿草が開いていた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
田舎ちゅう所はいいとこだ
山がある、谷がある、水が流れる。
わずかな平地に拓けた集落があった。
笠石
我が国においては、川を基に集落が形成され、住民の生活、生産活動は
この集落を単位として営まれるてきた。
・・・・と、ともに、こうした集落の日常の生活は深い家の結び付けにより成り立っている。
笠石集落を歩いて表面的ではありますが、2つの点を見出した。
その1は、住民の深い絆。
道路を歩いていると、笠石集会所から窓をあけて葛ハイ一行を眺めていた。
「どこから来たんだサァ~・・・・・。帰りには寄って来な、ご馳走があるから・・・」と声を掛けてくれた。
開け放たれた窓から見えた瞬景は、テーブルの上に手作りの料理と飲み物、
囲むようにの人々が座っていた。
「今日はの集会だがネェ・・・・」と言葉が返ってきた。
「東京は、寅さん柴又から来ました」と返事を送った。
人情=集会=絆
その2は、建設途上のメーン道路ほぼ完成。
川に沿って連なる1本の道路。
これが拡幅され、曲がっているところは真っ直ぐにし橋を掛け、ほぼ完成の段階でした。
法面に芝生を植え、ガードレールをつければ一級の立派な道路。
笠石も”限界集落”の波が押し寄せてきていることでしょう。
常陸太田市との広域合併により
舗装道路により集落の活性化を見出そうと
一心に取り組んでいた。