日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

“かち”とは➡“勝”と“徒”

2018年06月15日 |  紀  イベント・催行

新宿~青梅・かち歩き大会

突然ですが・・・・!?


 

“かち”とは“勝”と“徒”を意味です。

長い距離(43kmを飢えや渇きに打ち克って歩く自己鍛錬をかち歩きと呼んでいます。

自分の可能性に挑戦し、心身を鍛えて、ストレスや災害等のあらゆる困難も乗り越えてゆく

生きる力と自信をつけることが目標です。

このかち歩き大会は昭和44年の秋から毎年3月と11月の2回開催され、

今年は回を重ねて97回との事です

 

 

 

前回のフジノ会で、里歩きをした時のことでした。

小田急線沿線若葉台公園にてベンチに腰を下ろして、昼食をとり雑談に耽っていた。

突然、Kさんが写真の格好して現れた。・・・・・・・・アラララ。

話を聞いているうちに≪凄い達人≫と思った。

今年で97回開催されており、何とKさんは40回参加されているとのこと

ビックリでした。原則として飲まず食わず。

 

 コメ欄は閉めています。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

永井荷風

2018年06月15日 | 文学  コラム・エッセイ

2017-12月号

「東京人」を読み解く

 

 

市川に、講演を聞き行きて、興味津々、東京人を読み解いた。

 永井荷風と言えば、『濹東綺譚位しか知らなかった。
読み解いていくと、多くの女性と交わったが、自己を見失うことなく克明に、
「断腸亭日乗」を書き綴った。

関東大震災、東京大空襲をも
体験しながらも、物事の本質を捉え自らの信条を貫き通した人生でした。、

代表作 『あめりか物語』(1908年)
『ふらんす物語』(1909年)
『珊瑚集』(1913年、訳詩集)
『腕くらべ』(1918年)
『濹東綺譚』(1937年)
『断腸亭日乗』(1917年 - 1959年、日記)
主な受賞歴   文化勲章(1952年)

≪ 深読みしてしまった。≫

東京人 2017-12月号表紙

 


画像では表示できませんが、校正・推敲が素晴らしい、参考になりました!!
文字も実に整って素晴らしい字でした。
スケッチも緻密、小説家とは思えない字でビックリ惚れ惚れしました。

 

荷風は、写真も好きだったようです。

 

現代で言う俳画

 ① いく春や秋にも似たる一夜かな

   ② 木枯らしにぶっつかって行く車かな

  ③ 名も知れぬ小草の花やつゆのたま

④ 遠いみちも夜寒になりぬ川向う

 

校正・推敲のの原本 画像撮り直し

 

          
↑ クリック拡大
永井荷風の校正、推敲の原本

左・「断腸亭日乗」  右・「渡り鳥いつ帰る」

 

上 雑司ヶ谷霊園の荷風の墓
   荷風は、遺言で「葬式はやらぬこと…、≫と書いてあったが、荷風ほどの
人の葬儀をやらぬわけにはいかぬと、実の弟威三郎氏が執り行う。

         下 浄閑寺の永井荷風の文学碑と荷風花畳型筆塚
       谷崎潤一郎らが詩碑を建てた。


 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

永井荷風は、本奥戸橋にも!!その名を記す!


葛飾区・本奥戸橋、西詰めの表示看板 断腸亭日乗の文字発見


葛飾区・奥戸街道・本奥戸橋西詰め

断腸亭日乗・第16には、葛飾柴又帝釈天に立ち寄り、川甚で食した
          第31に松戸・矢切り付近を散策、「矢切の渡しのスケッチ」が有りました】 

 

 

断腸亭日乗から100年

こよなく散歩を愛した荷風

 

多くの作品を発表してから、
大正6年、〈1917〉荷風は「断腸亭日乗」を書き始めた。


変りゆく東京を歩き、銀座・浅草・深川・玉ノ井・そして晩年は
市川で過ごし風景や風俗を克明に記している。

「日乗」には私娼、カフェイの女給、踊り子、ソノ時代を力強く生き抜く
女性たちが見事に写し取られ書き表されている。


多くの女性たちと交わりながらも、生涯現役として小説家として
孤独なスタイルを最後まで貫いた荷風でした。

永井荷風は、38歳から79才死ぬまで42年間事細かに日記を書き続けた。

これが『断腸亭日乗』である。

此の壮絶な個人主義に傾注し、いかに生きたかが分かる。

 

 コメ欄はお休みです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする