はるのひ駅から黒川駅
6km/凡そ3、30分の歩行14、200歩でした。
今回のページは、少しでも現場に近ずけようと駄文の並べました。
現場の状況が少しでも理解出来たら幸いです。
緑陰の中の、よきウオーキングコースでした。
全行程 6km 約3,30分
はるひの駅①から始まり黒川駅⑧までの案内図
黄色い線を歩きました。
若葉台展望台からの眼下の眺め
若場台展望台をを下から見上げた様子。
印象深く残った個所
今回のウオーキングで最も思い出の地・印象的に残った≪若葉台公園≫↑です。
おそらくほんの40数年前は、山・森・林・原野であったことでしょう。
囲炉裏がある頃、ここから薪を取り煮炊きの燃料を、この山で採取したことでしょう。
山が湾曲に入り込んだ地帯は自然が豊富で水が湧き、最初に人々が生活を求めて住み着いた。
下方地の沢筋を歩くと、ホタルの鑑賞地、水車小屋、面積の狭い場所で田植えが成されていた。今ここ若葉台公園のビル群が立つ、頂から眺めると急峻な地、先祖伝来の生活がなされてきたことを思うと、感慨深いものが有りました。
ビル群の立ち並ぶ公園で昼食を取りましたが、
その古は、一体どんな所で、そして山野を糧にしたどんな生活が営まれていたかを
考えた時、思い浮かべながらおにぎりを食べました。
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今回のページは、
はるのひ駅から②,5の石畳み階段休憩所(地図確認)までの区間です。
皆さん新宿から出発する小田急線の地図を広げて、じっくり眺めて見て下さい。
≪青葉台駅・あざみ野駅・つくし野駅・若葉駅≫等の、自然から発せられた駅の
多いことに気付くでありましょう。
幾つ見つける事が出来ましたか。おそらく駅を命名するに当たり、山、森、林、畑、水田を切り
拓いて小田急線が敷設されたことでしょう。
そんなことから、面々と継承されてきた大自然を少しでも皆さんの手元に置いて・・・・・
と言う大きな命題の基に各く駅が生まれたたことと思いました。
小田急沿線の地名もじっくり観察ください。大自然に結びつく
数々の地名を見出す事が出来るでしょう。大きな発見が又あることでしょう。
小田急多摩線は1963年(s38年)多摩ニュータウン建設に伴い敷設された。
京王相模線も、並走して走っています。
フジノ会参加者26名皆元気、GO.
その上が小田急線、その上が新興住宅地。その上の緑の丘陵地帯が
本日アタッツするウオーキングコースです。
爽やかな風が通り抜けウオークには良き地でした。
運動靴にランニング姿のジョガーが時折サッソウと駆け抜けていった。
此処にてFリーダの説明。
皆さんにお配りました案内パンフに唯一の写真が掲載されています。
それがここの原風景です。しかし全く様相が一変しています。
階段と、登ったところのクスの大木が唯一残っています。ご覧の様に
ビル群の林立、ビルは、パンフには乗っていません。
この辺がいかに急激に開発されたかと言う事を物語っている表れでしょう。
丘陵地帯の尾根筋を往くフジの会参加26名。
進み行くとさくら、クスの大木、ケヤキの大木が目を覆う、実に太い。
大木から想像するに、山にあまり人が、立ち入らなかったことが良く解る。
自然の山、手つかずの山であったのでしょう。
普段なら山は20年くらい経つと伐採し薪炭材として都会地に運ばれた。
ガスや電気の発達でその役目は終わり、木々はスクスクと育ち、
思う存分幹や枝を張り巡らした。
大木の数々が動かぬ証拠です。
景観木!?ふと思った。
条例で決められていつまでも住民が愉しむ事が出来るように。
葛飾区の一般の民家の庭に、有るのは「保存木」で、これは区の許可なく伐採する事は出来ない。
景観木は、公園内を清々しく保つための人間の知恵なのであろう!!
Fリーダが説明したマンションを尾根筋から望見した。
桜の幹6本木です。(仕立て?)
幼木の時に山り入りて、手を加えればこのように乱立することはなかったでしょう。
この桜の木から昔を推察する事が出来た。
自然を大胆に開発した状況を、あちこちで見つける事が出来ました。
石の畳み階段
鉄平石を重ね合わせた丸い公園と階段。鉄平石(てっぺいせき)は、
長野県の諏訪地方・佐久地方に広く分布すると言われます。
これほどまでに敷き詰めた石の公園となると、この近くから産出することも考えられる。
運送会社の屋根が、太陽光発電。
余談ですが、東北大震災以後政府が太陽光発電を奨励し、
あちこちで開発が進んだ。
山を切り拓きその地に、休耕田の農地へと瞬く間に普及した。が、…しかし、政府で買い取り電力会社へ売買と言う歌い文句が、値段は半値以下に、そして買取もあやうくなってきたという新聞記事。
猫も杓子も当時は、ソーラー発電でした。
第1回目の休憩をじっくり、のどを潤しながら疲れを癒していた。
木漏れ日を受けながら尾根筋の公園のため心地よい薫風が吹き抜けていた。
石畳み階段を下りた傾斜しに地にホタルブクロが咲いていた。
此れも余談です。
夏の夜ホタル採りに行った帰り、ホタルを手づかみにして、この花の中に入れた。
逃げられないように花を縛った。
この花を見るとホタルを、ホタルを見るとホタル袋を思い出す。
幼少期(戦前)はホタルが湧水の所に湧き出るほど生息していた。
これも化学肥料の発達とともに、ホタルが徐々に少なくなった。
また住民たち、ホタル愛好家の手によって、年々増え続けているのは嬉しいことです。