成功の反対は失敗
世田谷民家園にて
釣瓶井戸は、力を入れなければ
水は汲めない。
昔は、すべてのものが
人力(信念)だった。
コメ欄は閉めています。
むかしの手紙 & 新聞紙上と俳句の・短歌コラボ
およそ10年ほど前のことであった。
次のような手紙を添えて、新茶が送られてきました。
新緑の心地よい季節になりました。
昨年はわざわざお出で下されて、何のお構いも出来なく今もって心苦しく思っています。
皆さんお変わりありませんか・・・・・・・・ 略・・・・・・・・。
私どもは皆元気です。・・とは、申しても私ども二人は83才の超高齢に成りましたが、極めて体は元気です。この間もお茶摘みで裏山の畑でお茶の作業をいたしました。若い者はお昼に下まで降りに食事に行きましたが、老二人は弁当持ちでお茶摘みをいたしました。そのお茶が出来ましたので少々送ります。この辺のでは自分の家でお茶を作る人は皆無になり、我が家1軒だけになりました。製茶は自分の家では出来ませんから、近くの農協に依頼して作りました。
熱湯は避けて、少し覚ましたお湯でゆっくりお飲みください。
後は、家族の様子や親戚関係の消息が綴られていた。
そして新聞切り抜きの「短歌」が同封されていた。
50なかばの甥のいとしも髭面に
手縫いの半纏頼むときょう来つ 埼玉 Y T
(評) 少し前の、寅さんモノの映画を見る様な懐かしさを感じさせる作。叔母
さんは裁縫の名人だから、と尋ねて来たのかもしれない。
「半纏」と言うことで、その家の大方の暮らしも推測できる。
YT氏は、娘時代ペンネームを持つほど文学に造詣が深く、少女時小説を読みあさり吉屋信子にあこがれ将来は女流作家になろうと甘い夢を抱いていたとの事であったとです。従って新聞の俳句・短歌投稿の常連で新聞紙上では何回となくお目に掛かり、紙上を通じて楽しませていただきました。
自費出版歌集「野のすみれ」は第3集を数え今でもその文才は衰えず、「ちちぶ」市報文芸欄でお目に掛かっています。
市報 「ちちぶ」・最新作品
◎ 朝霧の白くたゆとう武甲嶺に
始発電車は警笛鳴らす Y T
お茶の木
図書館で新聞を読んでいましたら
「毎日俳壇」にて次の句を見かけた。
◎ 歳月のすっとんできし新茶かな 沼津市 三上八郎
(評) 待ちに待った新茶の到来である。ながい年月をすっとんでやってきた、
と言う調べが実によい。
この句の「すっとんで・・・・」と言う句を詠み、ふと前段の
YT家から送られてきた、10年前の新茶が思い出されました。
◎ 新茶かな野こえ山こえ東京へ (縄)
◎ つやつやと柔らか新茶摘み取りて
囲炉裏とろ火で揉みし手黒く (縄)
俳句は、東京まで幾つ野や川を越えて届くのであろうか?
自動車で積み替えられながら、郵便屋さんがバックに入れて配達される。
短歌は、少年時代に製茶の手伝いをした。トタン板の箱に手製の和紙を何枚も何枚も
張り付けた製茶箱。これに摘んできた新茶を蒸かし手もみをする。
手撚りが大変でした。出来るだけ細く手撚りをした。
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