子供時代、木に登りて柿を採り食べた!
子どもの頃、庭に何本かの柿の木がありました。
小木で背の低い百目柿の実を、チョイと登れば、その場で捥いで喰う美味は格別で、
どんな果物に出会おうとも、たぶん超えることが無いだろう格別な味だった。
真ッ青な空の下で、たわわな樹木から、あの色鮮やかな実を捥げば、枝がザワザワたわみます。
そこでカリッと丸かじりし、甘みの粒立ちをシャキシャキ嚼み〆た時、澄んだ空と、
柿の木と、食べる私のお腹のふくらみは、美味しさと満足感で一杯でした。
なぜ「どんな果物と出会おうとも・・・・」という言い回しは、自ら木に登り、危険をも顧みず
自分で採って丸齧りしたというところに得難い醍醐味が在るからであろう。
自らの誇りは、登った木から落ちたり、未熟な渋い柿を食べたり、
近くの餓鬼の友達と一緒になって木登りをした。
柿の実を取って差し上げたりしたことに、幼い瞳が秋の季節に溶け込んで、
柿採りをしたことに思い出が一杯詰まっていたことが、脳裏に詰まっているのかもしれない。
👇の画像の柿は、東京の通りすがりの、家の角に自生していて、甘か渋かもわからない。
最終的には、採る人もなく赤く熟してポトリ、ポトリと落ちて柿の実の生涯を終える。
干し柿にでもできないものかと?季節になると見上げる。
近くの街角の庭先で見つけた柿の木
柿採りや郷国餓鬼の少年期 (縄)
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