石原慎太郎、絶筆『死への道程』
「文芸春秋・4月号」を読む
石原慎太郎、絶筆・『死への道程』文春4月号を
読みたいと思って居ましたが、なかなかお目にかかれませんでした。
忘れかけていたが、館に立ち寄ってみると、該当の雑誌にお目にかかれた。
一気に読みました。
石原延啓・画家(四男)と在りし日の父・慎太郎
絶筆・『死への道程』を読み終えて感想はと聞かれても
一口で答えることは出来ない、
石原延啓・画家(四男)が看取った、父・慎太郎について詳細に語っていた。
「父・石原慎太郎は、最後の最後まで作家で石原慎太郎であった」
昨年12月も半ばを過ぎたころ、徐々に病気が進行し、父は「手探りで”のたうち回っている”感じがした」
ので面と向かって、唯々「懐かしいノスタルジアの感想でなく」~
「今、まさしく行こうとしている、人間の向こうの死の眺めでも書いてみない!?
『透き通った時間』の中で死んでいく主人公を!!」と提案し問うてみた。
父・慎太郎は「おお、そうだな」と気のない返事が返ってきた。
・・・・・・・(略)・・・・・・・・
亡くなるちょっと前「オレの人生で一番の仕事って何だったのだろう?」と問われた。
私が答えに~模索していると「創造的な世界に一つの、やり方を投げかけることは出来たかな」
・・・独り言のようにポツリと言った。
父は、最後の最後まで、作家・石原慎太郎であった。
医師から余命3ヶ月と宣告された。
宣告後どう声をかけて良いか分からず
「正岡子規の病状6尺」ではないが、今の心境を綴ったら・・・と、
口を滑らした。
「俺は日記を書く」と、父(慎太郎)は答えた。
此れが、遺稿『死への道程』である。
参 考・余談
『絶筆・死への道程』の
文中に出てきた本。
文が綺麗で読みやすい本。内容は青春恋愛小説と言った方がいいかもしれない(異論はあると思う)。
背景には戦争によるショックがある。内容はパリとスペインの田舎町で飲んで遊んでいるだけであって、
事件と呼べる何かは起こらない。しかしそれぞれのキャラクターにおけるバックグラウンドから来る雰囲気、
心理的描写は真に迫るものがあり、飄々と生きる主人公たちが、またどこか粋でもある。
主人公たちの堕落が、いったい何を意味しているのか、それが今作の最大の謎であり、見所であると思う。
ただ少し頭でっかちな作品と言えなくもない。
人間の永遠のテーマである「死」を主題として奏でる思索世界。
三つのモチーフ「死のこちら側の死」「死の瞬間における死」
「死のむこう側の死」の展開によって、完璧に、精妙に演じられる
一大交響曲といえよう。
かつてインドシナの地にアンコールワットやアンコールトムを造営し
繁栄を誇ったクメールの王国──〈王道〉とはそこに存在した道路である。
巨万の富を求めて密林の奥深く古寺院を探して分け入るクロードとペルケン。
悪疫、瘴気、そして原住民の襲撃。インドシナ体験を基に、人間存在と
行為の矛盾を追求した不朽の冒険小説。
コメント欄はOPENです。