万葉歌碑
帰郷の際、懐かしい小学校に立ち寄った。
在校当時聞きおぼえていた歌碑が目に入った。
防人として先人が
任についたときの歌である。
小学校
万葉の歌碑
碑に次の2首が刻まれている。
☆ 武蔵領の小峰みかくし忘れゆく 君がなかけて吾を哭し泣くる
☆ 大君の勅かしこみ愛しけ眞子 が手離れ島伝いに行く
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今日のメモ
後の1首は、「大君の命令を謹んで承って、
可愛い妻の手を放れて、防人として島伝い行く」という意味です。
旅の門出に際して詠んだもので、悲しくも暖かい歌と感じられる。
九州防衛のため、3年間は故郷に帰れず、
留守家族の保証もなく、自費で旅を続け、任につかなければならなかった。
帰りも同様で、大変な旅路であった。
【余分・録】
「さだまさしの詩」曲を聞いていたら・・・
イニシエを思い浮かばせる・・・・・ものがあった。。
この曲に防人が凝縮されているのであろう。
同窓会の参加で帰郷、懐かしい小学校良き思い出になりましたね。
故郷の私達終戦後の時代は小学校と中学校が一時同居してました。
講堂を板で仕切り授業をしてました。
中学3年の時に新しい校舎が出来、3ヶ月足らずで卒業。
小学校の校舎も中学校の校舎の思いでも一緒です。
文学青年の出発はこの辺りにありそうですね~。
さだまさしのあつもりの詩を知りませんが・・・(お恥ずかしい。)
一度聞いてみたい気がします。
昔も今も別れは辛い物ですね。
小学校の下は炭鉱に穴だらけとかで・・
百年のお祝いに何十年前に立て替えました。
既に時結婚していましたが帰省しました。
ヘリで花束を投げ夜はちょうちん行列が出たのですよ。
その時は県下1の校舎でしたが・・・。
そこでネットで調べると、吉田町立歴史民族資料館の庭に、こ歌碑があり、そのレプリカが吉田小学校にあるという記述がみつかった。
民俗資料館の庭には「万葉集」第20巻、防人大伴部小歳(オトセ)の歌碑『大君の命かにみ愛(ウツク)しけ真子が手離り島伝い行く』があります。この歌碑は江戸時代に現在の吉田小学校校庭に建てられ、民俗資料館の庭に移されたものです。移転後の吉田小学校校庭にはこの歌碑のレプリカが建てられています。
この記述の「大君の命かにみ」???
大君の命かしこみの「し」と「こ」がくっついて「に」に化けているのだ。
これは、印刷物をスキャンするとこういう化け方をすることはあるが、信じられないオソマツだ。
さて、元に戻って
縄文人式「大君の勅」は「おおきみのみこと」と読むのだろうと思ったが吉田式に「大君の命」という字が当ててあることから「おおきみのみこと」ま間違いなかろう。
縄文式「愛しけり眞子」???
「愛し」は「かなし」「めぐし」がふつうだ。
「眞子」が妻のことなら「めこ」と読むと思う。
「めぐしけり」なら終止形で、「めぐしけり眞子」つ続くのはおかしい。
「めぐしめこ」と読むならよいが、すると下の句の字数が不足する。
「がてはなれしまつたいにゆく」(13字)
これは意味的にも
「めこが手離り 島伝い行く(めこがてさかりしまつたいゆく)」だ。
すると、「愛しけり」でなく「愛(うつくしき)」と連体形でないといけないということになる。
「おおきみのみことかしこみうつくしきめこがてさかりしまつたいゆく」が妥当なところではないかと思うが。
防人の苦労が、日本という国の独立を保たせたと思うと、決して縁遠い過去のことには思えない。
ドウモ~ドウモ、
ここまで調べ、詳細にいたっては、私の知る限り、手持ち資料からお答えしなければならない。所詮東京での生活中にて郷里の事は、書き物で知るだけです。
1、☆ 大君の勅かしこみ愛しけり眞子 が手離れ島伝いに行く
・・・・愛しけ眞子 が手離れ・・・・
おっしゃる通り「し」は間違い打ち込みでした。
2、現在の場所に移転するまで過去に、2度移転しているようです。その大昔は、役場(その後歴史博物館に転用)敷地内にあり建立されていた。それが旧・吉田小学校の校庭に移転建立され、小学校が改築に伴い現在の所に移転された経緯があるようです。
この歌碑は粗い砂岩で出来ているため、大きなひびが割れていて台座に破片が落ちたりして誠に痛々しい限りです。
この碑は2代目で、初期のものが文化年間に崩れてしまい、再建したといわれています。
3、guucyanさん色々ご指導、有難う御座いました。遡って詳細に調べていただいたこと謝します。「し」を削除しました。
これからもよろしくご指導を・・・。
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万葉集には「於保伎美乃美己等可之古美宇都久之気麻古我弖波奈利之末豆多比由久」と書かれているそうで、すると「おほきみの みことかしこみ うつくしけ まこがてばなり しまづたひゆく」と読むのでしょうか。
いずれにしても防人として行く複雑な気持ちが偲ばれます。
思えば「うまくない」で弟子入りさせてもらってからかなりの時間が経過しましたが、最近先生は私のブログを直木賞とか何とかと煽ててくださるのでつい本気になり、さわりだけでもと考えてみました。
こんな事がくるだろうと予測して防人のこと、もう防御しておられるように感じましたが私の思い違いでしょうか。
筑紫なるにほふ子ゆゑに陸奥の可刀利娘子の結ひし紐解く 3427
と言う歌です。
今まで東歌だと思ってましたが、防人の歌に含まれていました。
物の本に依ると、防人の歌や東歌には類型的な歌が多くあるそうです。
本歌が、各地に伝えられて変化したらしいです。
何れにせよ、千二百年以上も前の歌が残ると謂う事は素晴らしいと思います。
皆さんから、大きな反響を頂き勉強になりました。懐にそーっと閉まって置いたものがものがにわかに脚光を浴び先人防人も驚いている事でしょう。
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紅さん
特定の者に対する恋愛感情その他の好意感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で、・・・・・付きまとう。(ストーカー法)これに触れない程度に・・?・?・・・ます。
ハッハッはあ~(馬鹿笑い)とか何とか言っちゃって、「木の事について書いてあったとおっしゃっていますが、どの文章であったか分からない」
紅さんに挨拶がない・・・これは困りました????
とくさん
そうです、ソウデス。
あの当時は新制中学切り替え時でドコもかしこも校舎が不足しました。物置が教室になりトタン屋根だったため夏は暑くて屋根に欅の枝を積み上げてトタンが焼けることを防いだ記憶があります。切り替え時のドサクサで本当に苦労した事が今ハ、よき思いでなって居ます。思いではすべてセピヤイロに輝いて苦しい事も良きものとして目前にせまって来る。。
かのこさん
文学青年・・・・そういわれると入れ歯が落ちます。
なんと言うことはない、縄文爺です。馬鹿丸出し、隠すことを知らない、泥臭い・・・・70歳の爺じいでガンス。
guucyanさん
別枠に設けました。
おーちゃん
防人の別れるときの気持ちはいかがであったことでしょう。
1200年前といえば、九州までの交通手段・・・そんな事を思索すると・・。
自然さん
昨日、直木賞が発表されましたが残念でした。今年は該当作品がなかったようです。自然さんのも推薦しておいたのですが、残念でした。ハツーハぁハァ~
芥川賞は、23歳新進気鋭の♀だったようです。
これからも新作、創作メルヘン物語り頑張ってください。
正直さん
☆ 筑紫なるにほふ子ゆゑに陸奥の可刀利娘子の結ひし紐解く 3427 ・・・の歌碑があるのですか。
今日の東京地方後
心に 残る歌ですね....しみじみ読ませて頂きましたよ.
又 あそびに 来ます.
万葉集巻20
歌番号4414
おほきみの-みことかしこみ-うつくしけ-まこかてはなりしまつたひゆく
萬葉仮名では
20 4414
於保伎美乃 美己等可之古美 宇都久之氣 麻古我弖波奈利 之末豆多比由久
おほきみの みことかしこみ うつくしけ まこがてはなり しまづたひゆく
右一首助丁秩父郡大伴部小歳
右の一首は、助 丁(すけのよほろ)、秩父郡、大伴部小歳(をとし)。
萬葉仮名があると勝手な訓みはできなくなりますね。
先の浅見恥じ入るばかりです。
ついでに誤って464に書き込んだ分、削除頂ければ幸甚です。