群馬県鬼石町・縄文跡地・保存
秩父・吉田石間集落を抜けて
大田部峠を越えれば群馬県・庭石で有名な鬼石町。
小学校も統廃合されて町の集会施設
小学校脇に移設保存されていた(縄文跡地原型)
集落模型絵図
縄文人生活模型絵図
縄文人生活式の野外の様子・振る舞いの絵図
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今日のメモ
こんな山奥にも縄文人が、現実に住んでいたと言う事をはじめて知った。
藤村氏の黄金の手により、
秩父に50万年前の、北京原人と同頃の、『秩父原人発見のニュース』
に沸いたのもつかの間、捏造と言う事でドンテン返し、
アッという間にしぼんでしまった。
こうして保存公開されている施設を見て
『秩父原人』が綿々と歴史上に残っていたらと・・・追想すると
複雑な気持ちに駆られた。
捏造が世間を大手を振って歩く社会。
ゾ~ットし身震いする。
あの時は日本中が喜びました。
しかしその後日本中が恥ずかしく思いました。
考古学に対する国に方針の脆さも露呈して・・。
学者も自分の名誉の為に・・・などなど。
お土産のおまんじゅうまで出来ていたとか聞きましたが・・。
そのおまんじゅう食べてみたかったかのこです。
縄文人さんが知らなかったと言うから、チョット怪しいのではないかと、疑いたくなります。
さて、この家屋、柱にはどれくらいの材木が使われていたのでしょう?
また壁材は何だったのでしょうか?
この家屋は、現代人が想像したもので、どの程度立証されているのでしょう?
各地の遺跡を見るとすぐそういう思いにかられます。
猜疑心の強いguuchanです。
少しお邪魔が出来ていませんでしたがなるほどと納得できる地形です。
私も負けずに縄文の時代まで早くいけるように頑張ります。
縄文人さんが縄文人を名乗るのは、此処に原点が有ったのですか。
TVの捏造だけでなく、こんな所にも捏造が有ったのですね。
段々と世の中が信じられなくなってきました。
本物の縄文人は嘆くでしょうね。
>秩父路の 峠またいで 野のすみれ
情景が見えます。土葬だった父、母が逝って丸三年。墓参も北の地から手を合わせるのみです。
>耕して耕して石を積み天にいたる
祖先のご苦労を偲び我が身の今に重なります。
素晴らしいフレーズ!心に染みました・・・
例の捏造が無くても、縄文人は此処で暮らしていましたね。
秩父原人など居なくても、秩父縄文人で充分です。
最近はお洒落など出来なくてただただ動き回っているだけでしたから闇の中の一筋の滝の水を見るようでした。
とうとうとそしてドウドウと流れていきます。
うれしくてお礼を言いたくて!
感慨もひとしおだったのでは!
自分の売名行為の為の捏造、
考えられない事ですね。身震いしますw。
結果的には捏造にだまされなかっただけ良かったですが。
今は山あいの学校も長近代的な建造物になって、便利はいいのでしょうが、背景と馴染まずどこかアンバランスです。
そう言えば考古学のねつ造事件もありましたね。すっかり忘れていました。