墓 参
ふと見上げれば、空が高くなっている。
足元に目を落とせば、色ずいた木の葉が二枚三枚と落ちていた。
何処からか漂う金木犀の香りおどろき、忘れ去られていた記憶の断片が
にわかに走馬灯のように蘇る。
故郷は、遠きにありて 想うもの・・・・・。
生まれた地に足を踏み入れ、大きな深呼吸をした。
寺坂の六地蔵
先祖の墓に合掌し、故郷の山を眺める。
ここ秩父では、お米を持って行き墓前に供える
デジブック
『故郷の廃家』
なぜ廃家を・・・!!
ハイ、故郷は遠きにありて思うもの、
反芻しながら記憶から記録にし、思いでの余韻にしたい。
☆ 感涙の 入り口引き戸 また会えて
あるお寺さんへ行きました。
そこは真言でお地蔵さまが6つ、我が近くの国分寺
ここもお地蔵さまが6つ並んでいます。
すみません。生まれも育ちの広島県の片田舎
遠くにあり手思うものは関係ないみたいです。
迎えてくれるようですね。
こうしてお墓参りを出来るのも
ありがたいことですよね。
ご先祖あってこそ今日の生をいただいていることを
しみじみ感謝出来る機会でもありましたよね。合掌。
農村の原風景
六地蔵→仏教の六道輪廻の思想から発しているようですが詳細はしらない。良くあちこちで見かけます。
このお寺は、永平寺の系列で曹洞宗です。
生まれも育ちも地元です。
いいですね!!
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ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
なる言葉を詠み、ハットしました。
帰りて、ご馳走ヲいただき、また都に帰りくる、ありがたきことです。
≫中に入ると土間、台ドコ、水道、昔は大きな水瓶。寝静まった夜、お蚕様のお桑を食む音が聞こえてきます。
ヒキノさんならではの感、
いやはやジーンときました。
大きな水瓶、ハイそのとおり。いわゆる水の汲み置き、あまり換えないと、水垢が底に。
天秤で担いで入れた。
お蚕様のお桑を食む音
あらためて想い出しました。手持ちのお蚕さんの画像が遇ったので、急遽DBに2コマ追加しました。
画像がボケボケのがありましたがつい入れました。
長野、埼玉は群馬県と並んで養蚕地帯でした。ヒキノさんの2行のフレーズでグーンと力らが入りました。
見る方でさえ 胸がキュンとなる写真 撮る方の想いはいかばかりかと・・・
ふるさとのメロディーにのせて・・・
ほったらかしてても 忘れていても 帰ってきたら
いいよ・・・・とあたたかく迎えてくれる
じっくりと拝見しました。 ありがとうございました。
ちょっと長くなりますがお許しを・・・・・・・。
自分の気持ちを反芻し、蘇らせるそんな事から綴りました。
農民の暮らしは、一口に言うことはできないが随分違う。豪農と貧農また中農とて貧富の差。
我家は貧農であった。
《故郷の廃家》を見れば歴然として、今だからこそこうして画像に、文章にすることガ出来る。
色々な書物を読んでみても農家の大半が、薄暗い風通しの悪い間取り、囲炉裏を囲み薪を燃やして煮炊きをした。
昼は畑に出でて農作業の肉体労働で疲労困憊して、ぐったりして床に就いた。
こんな歌をみつけた。
☆夕景のわが疲労こそ証なる音なき村を風は流れて
☆三尺をながるば水は飲むべしと父の言あはれ谷に風響きる
☆夕のあめ草屋根のへをめぐりつつをぐらき家に人住みわたる
この歌から、農民の生活が如何に貧しいであったが読み取ることができます。
☆働けど働けど我が暮らし楽にならざるじっと手を見る
今はこうして歳を重ね、少年時代を振り返ることが出来ますが、当時はこれが普通だと思い全く気にすることはなかった。
ある人からコメントを頂いた。
育った我が家と重ね合わせて懐かしんでいます
大きな囲炉裏自在鉤に・・・・からは、雪が舞いこむ、二階裏は煤で真っ黒でした。
そんな事を思い出していました
切なくもありますが思い出の詰まった大切なものです。
こんな内容でした。
農民の笑い、悲しみ、楽しみ、語らい
その中に歌が生まれ、民謡となって、踊り、芝居、祭礼となって発展してきたのでショウ。
農村にはドラマが一杯有る。かぞえきれないほど・・・・・・。
見ていただきありがとう御座います。
我が家の暮らしを共有していただいたことに感謝です。
勉強になりました。
、
今は国産の胡麻は殆ど無いとも聞いてます・・・
私の故郷は川越と所沢の中間辺りですが子供の頃は畑から武甲山を望めました。
父母も兄たちも逝き、ふるさとは遠くなる一方で想うばかり。
うどんを上手に打ってくれた兄嫁も今は痴呆が進んでいるらしい。
繰り出す映像の一枚一枚に共鳴し思わず涙を誘われました。
83才の方の雨水を溜める装置は素晴らしいです。そのような知恵と
楽天のマー君のような強い意志に触発されてます。
古里を思うとき
悲しいこと、嬉しいこと
全部吸い込まれ
古里を思いつつ
ウシが草を噛むように
反芻しながら 想い出を
一つ一つ 解きほぐす
我々のように古里があり、盆やお彼岸に少々のみやげを持ちかえる。
故郷の実家を素通りされる方もおられると聞く、こうして仏壇にてをあわせ、田舎料理を食べれる幸せものです。
もう親兄弟はいません。
”ふるさと廃家”を共有できましたこと感謝です。