むつばあさんの一言~「後継者がいないんだがね・・・」
生活の糧(かて)~が得られない・・・紐解く。
むつばあさんの一言~「後継者がいないんだがね・・・」とポツリと言った。
早い話、山村では生活出来ない(おまんまが食べられない)!!
ここ石間の農業は、養蚕業、林業、によって何とか生活が成り立っていました。
ところが産業経済の発展は目覚ましく、山間部にも戦後の高度経済成長の
波が一気に押し寄せてきた。
先ず養蚕業が衰退し、現金収入の根源が断たれた。化学産業(ナイロン、ビニロンの
急速の発達)それに労働力豊富の中国の養蚕業の台頭でした。
桑の葉 - 日々是好日・スローライフ (goo.ne.jp)
次いで林業の衰退は著しいものがあった。筆者が幼少の頃は、薪炭材をトラックに満載し
消費地の東京へ搬出された。
しかし燃料はガスや石油へと移り変わり薪炭材が不要となった。建築材料である、スギ、
ヒノキ、サワラなどの用材は船便で外国から安く入るようになりました。
暮らしのなかの輸入材:1.日本の森・世界の森|私の森.jp 〜森と暮らし。
日本経済の発展は目覚ましく農村を取りまく産業が大きく様変わりした。
養蚕は衰退、山から生産される薪炭材は不要、建築材は安い外材の輸入、農村を取り巻く
経済環境が大きく変わった。
むつばあさんの一言(後継者がいない)と言うことは、産業構造の変化により、
ここ山村秩父地方にも大きな変革となって押し寄せた。
◎ ブロ友のヒキノさんが素晴らしい映像を寄せて下さった。
是非ご覧ください
●秋の秩父路・・石間から太田部へ・・山の民の村を行く
https://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/cd36d4f71746cf3bfe695bd2647031ef
土蔵です、昔は穀物などを保管していた。
どこを見ても石垣と曲がった”さかっと”(坂道)の連続。
蚕の餌になった桑の木、今はただ放置され無用に伸びるのみ・・・。
かっては蚕が食べて1ヶ月すると繭になり、出荷され現金化され農協に払い込まれた。
山村地帯の唯一の現金収入。
何処に行っても石垣が見られます。
野の草花、名前?です。
石間川流域の典型的農村風景です。
石間地区諏訪神社
沢戸地区中山間地帯です。
石間地区の下方に下り来ました。何となく道路がゆったりしています。
石間川
昔は薪炭材としての使われましたが、今は価値がない。
一雨毎に青くふくらむ桑の芽に
今年も蚕飼うと決めたり (富江)
岩走る水音かすか沢近く
垂るる菖蒲にも蛍がひとつ (富江)
コメ欄は閉めています。