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永井荷風

2018年06月15日 | 文学  コラム・エッセイ

2017-12月号

「東京人」を読み解く

 

 

市川に、講演を聞き行きて、興味津々、東京人を読み解いた。

 永井荷風と言えば、『濹東綺譚位しか知らなかった。
読み解いていくと、多くの女性と交わったが、自己を見失うことなく克明に、
「断腸亭日乗」を書き綴った。

関東大震災、東京大空襲をも
体験しながらも、物事の本質を捉え自らの信条を貫き通した人生でした。、

代表作 『あめりか物語』(1908年)
『ふらんす物語』(1909年)
『珊瑚集』(1913年、訳詩集)
『腕くらべ』(1918年)
『濹東綺譚』(1937年)
『断腸亭日乗』(1917年 - 1959年、日記)
主な受賞歴   文化勲章(1952年)

≪ 深読みしてしまった。≫

東京人 2017-12月号表紙

 


画像では表示できませんが、校正・推敲が素晴らしい、参考になりました!!
文字も実に整って素晴らしい字でした。
スケッチも緻密、小説家とは思えない字でビックリ惚れ惚れしました。

 

荷風は、写真も好きだったようです。

 

現代で言う俳画

 ① いく春や秋にも似たる一夜かな

   ② 木枯らしにぶっつかって行く車かな

  ③ 名も知れぬ小草の花やつゆのたま

④ 遠いみちも夜寒になりぬ川向う

 

校正・推敲のの原本 画像撮り直し

 

          
↑ クリック拡大
永井荷風の校正、推敲の原本

左・「断腸亭日乗」  右・「渡り鳥いつ帰る」

 

上 雑司ヶ谷霊園の荷風の墓
   荷風は、遺言で「葬式はやらぬこと…、≫と書いてあったが、荷風ほどの
人の葬儀をやらぬわけにはいかぬと、実の弟威三郎氏が執り行う。

         下 浄閑寺の永井荷風の文学碑と荷風花畳型筆塚
       谷崎潤一郎らが詩碑を建てた。


 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

永井荷風は、本奥戸橋にも!!その名を記す!


葛飾区・本奥戸橋、西詰めの表示看板 断腸亭日乗の文字発見


葛飾区・奥戸街道・本奥戸橋西詰め

断腸亭日乗・第16には、葛飾柴又帝釈天に立ち寄り、川甚で食した
          第31に松戸・矢切り付近を散策、「矢切の渡しのスケッチ」が有りました】 

 

 

断腸亭日乗から100年

こよなく散歩を愛した荷風

 

多くの作品を発表してから、
大正6年、〈1917〉荷風は「断腸亭日乗」を書き始めた。


変りゆく東京を歩き、銀座・浅草・深川・玉ノ井・そして晩年は
市川で過ごし風景や風俗を克明に記している。

「日乗」には私娼、カフェイの女給、踊り子、ソノ時代を力強く生き抜く
女性たちが見事に写し取られ書き表されている。


多くの女性たちと交わりながらも、生涯現役として小説家として
孤独なスタイルを最後まで貫いた荷風でした。

永井荷風は、38歳から79才死ぬまで42年間事細かに日記を書き続けた。

これが『断腸亭日乗』である。

此の壮絶な個人主義に傾注し、いかに生きたかが分かる。

 

 コメ欄はお休みです。

 

 


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