水車小屋のある風景&協働農作業
水車の思い出
勢いよく水の流れ落ちる音がする、小屋の中からはコットン、コットン杵の音がしています。
陽光が輝いてきました。早春、田舎の風景です。
今はもう地方でも水車を、見かけることはできません。
観光地でこの様な、観光用水車を見ることはありますが、本物の水車の情緒は湧いてこないですね!
このような水車小屋がにl~2か所あって、農家共同所有で順番に利用して
米つき(精米)、粉ひき(製粉)の仕事一切を引き受けていたのが,この水車でした。
時間は長くかかったけれど、水車時代は貧乏を忘れさせてくれたような
思い出が有りました。
水車という言葉だけで何となく心が和むような気がします。
高速道路の橋脚ではありません。鶴川街道一般道です。
多摩ニュータウンの開発、先ず道路からそんな観点から山、林、里を一気通貫で作られたのでしょう。
立派な道路です。
芸術的な橋脚
水車のある風景。なんとなくホット、心が和みます。
やっぱり屋根は、茅葺がいいですね!!
花菖蒲はちょいと早かったようです。
誰からの口と言うことなく
♬「あれは、水車の回る音、コトコとコットン、・・・・・仕事に励みましょう」
荒井恵子さんのラジオ歌謡の歌を口づさんだ。
魚が泳いでいました。
この一帯はホタルが飛ぶとの事です。
稲城市上谷戸農業体験の畑
サツマイモの苗植え付け中でした。
おじさんに一声かけた。
縄 「のどかでいいですね、自然の空気を胸いっぱい、吸い込んで・・・・・・・・」
おじさん 「ハイ・・。これは市の畑です。みんなでこうして、農作業すると心が1つ、
晴々、収獲が楽しみです。秋には収穫祭です」と、弾んだ声が返ってきた。
なし畑
ブドウの畑も広がっていました。
親水公園を後にした。
「小田急はるひ野駅から黒川駅ウォーキング」を4回にわたり掲載しました。
ご覧有難うございました。
縄文人さんの姿が目の当たりに見えるようです。
サツマイモの収穫時にはまた
喜びの声が行き交うことでしょう。
わが家の裏は以前はミカン畑でしたが
90近くになる方が一人で水田にして
今は荒がきをされ、そろそろ田植えをされます。
毎晩カエルの大合唱で耳栓をして寝ています。
最近はお目にかかれないですね
土いじりの楽しさ
収穫もあればやりがいもあって
生きがいにも・・・・
家に閉じこもるようになると
途端に足腰が弱まりますから
このような作業は気分も晴れていいですね(*^_^*)
栃錦は東京都の出身ですが、足踏みの水車で足腰が鍛えられたと話していたのを思い出します。
近くに手作りの三連の水車が回っている所があります。
また見に行きたくなりました。
梨や葡萄畑・・・母の実家が果樹農家で梨や葡萄を作っていました。
今頃は袋掛けが終わっている頃だな~と感慨深いです。
縄文人さんの眼の先にあるこのような風景が大好きです。
涼しそう・・水が珠のようにつながっていますね。
♪みーみをすまして おきき-なさい
私も歌いながら見ましたよ。
>やっぱり屋根は、茅葺がいいですね!!
ウフフ たしかに・・・
そろそろ時間ですね。
今晩は。
コンクリートの橋、水車小屋、チョイト取り合わせがいまいちでした。
でも、水車小屋を見るだけで、旅愁を駆り立てて、
昔へと誘ってくれます。
・ 水車小屋偲昔や知る人少
実物の水車小屋は殆ど見られなくなりました。
水車小屋と言う話題を持ち出す人、
それは現代からかけ離れた人と言われるでしょう。
成人が18歳になりました。
・ コトコトと廻る水車や初夏の風
≫栃錦は東京都の出身ですが、足踏みの水車で足腰が鍛えられたと話していたのを思い出します。
栃錦関は、
JR小岩駅に偉人として駅構内に力士像が、
有ります。
そう言えば、昔は水をくみ上げも水車だったんですね。
・ 水揚げは足で鍛えた水車から
今晩は。
やっぱり水車小屋は、かやぶき屋根ですよね!!
有難うございます。
荒井恵子さんの歌、当時は流行りましたね。
・ 水弾き水車小屋あり夏の水
昨年福井の赤谷川を見てからの画像ははじめてです。
調べれば堂々川でも3基、岡山県境の清水がでは6基もあったと言います。
その当時の石臼らしい遺物が国分寺に30個近く石垣にしてあります。
永井荷風昔新聞で読んだ記憶があります。
水車小屋があると何となく心が和みます。
水車とひきうす此れは切っても切れない繋がり。
そうですか、堂々側にも水車小屋。
72候・芒種・次候次候
季節の暦 ホタルが舞う頃
欄でリンクさせてもらいました。