叔母を殺人事件で亡くした女性が、留学中のイタリアで出会った作曲家の男性と結婚。叔母と暮らしたロンドンに戻って新婚生活を送るものの、ちょっとしたもの忘れや所有物の紛失を夫から指摘される。「君は疲れているんだ」「君がちゃんとしないから僕が守ってあげる」繰り返されるそんな言葉の数々に、次第に少しずつ何が正しいのか、判断に悩むようになる女性。
妻を庇うようにも思える行動の数々は薄っすらと高圧的で、彼女の存在を受け入れるようにも思えながらも、彼女の行動と判断を最終的には全て否定しているのだ。
*****
加害者が誤った情報の数々で被害者を操り、判断力を奪う行動をガスライティングと呼ぶのはこの映画が由来。
ソフトなモラハラで真綿で首を締めるかのように少しずつ女性の判断力を奪っていく様子が怖い。ただ、これをやられている被害者も当初はそれが心理的コントロールとは気づかず、様子が変だと思った時には、周りも被害者がおかしいのだと思うような状況になってしまっているのだ。
映画では、加害者の魂胆に気づいた刑事の活躍があるが、実社会でこれが行われた場合、特に職場でこれが行われた場合は、隠れたパワハラになるんだろうが、被害者が加害者に飲み込まれてしまっているケースが多くて、周囲の者が気づく事はまれだろう。たとえ気づいた者がいたとしても、その人が積極的に被害者に関わろうとしなければ、周囲も加害者の作った雰囲気に飲み込まれてしまっており、修復は難しい状況のはずだ。ガスライティングという言葉に引っ張られながら、シャルル・ボワイエ演じる作曲家の行動の一つ一つに恐ろしさを感じながら映画を観る。
*****
近所のスーパーで、食料品の横に並んでいる格安名作DVDの棚の中にこの映画を見つけて購入。