フェイブルマン家に生まれ、いわゆる真面目な理系の父と夢見る気質の感受性の強い母に育てられた少年が幼い頃どんな風に映像の世界に目覚め、それを忘れる事なくどんな風に成長していったのか。スピルバーグが自分の両親の姿を描きながら、自分の生い立ちを静かに語る映画だ。
タイトルがフェイブルマンズ(フェイブルマン家)ということに大きな意味があるのだろう。自分のバックグランドを見つめつつ、自分が映像の世界に足を踏み入れる決心を固めた時代の事を語る。直接語る事のなかった事を今改めて語る事が、スピルバーグにとっては大きな意味の有る事だったのだろう。
両親を演じるミッシェル・ウィリアムズとポール・ダノの二人からは子ども達を慈しむ気持ちが伝わってくるし、家族を愛する気持ちも伝わってくる。ただ人の感情は理性ではコントロール出来ないものもあり、息子のサミーが自分の撮影したフィルムからそんな思いを感じ取ってしまう様子も非常に切ない。高校卒業時のパーティ用のフィルムからは、自分が無意識に編集した映像が観た者に抱かせた感情に映像の持つ力を確信し、驚きと同時に映像の持つ力の恐ろしさも実感した事が伝わってくる。初めて観た映画「地上最大のショー」の衝突シーンに魅せられた子どもが、自分の作る映像の力にどのように向き合っていくようになったのかが、家族の歴史とともに語られるのだ。
直接的な映画制作時の話ではないが、彼の作品を見返した時、この映画を観た事で何かまた別の発見があるかもしれないと思う。
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サミー少年が「地上最大のショー」の衝突シーンを自分で再現しようとする場面を見ながら、トレーラーが執拗にセールスマンの車を追いかける『激突!』の事を思い出した。運転手の顔の見えないトレーラーが常軌を逸したあおり運転を仕掛け続ける映画で、スピルバーグの名前が有名になるきっかけとも言われているテレビ映画だ。単に、「衝突」と「激突」という単語が似ているから思い出したのかもしれないが、「きっと、少年時代にどんな風なアングルで撮影したら驚きを感じる映像が撮れるだろうか?と思った事が、『激突』にも活かされていたに違いない」などと一方的な拡大解釈をしながら映画のエピソードを楽しむ。
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亡くなった父がジョン・フォードのファンであり(「怒りの葡萄」や「わが谷は緑なりき」よりも「駅馬車」や「荒野の決闘」がお気に入りのようであった)、『ちょっとした映画俳優よりジョン・フォード自身の方がよっぽど貫禄がある』と言っていたので、映像の世界に入る決心を固めたサミーがジョン・フォードに会うエピソードが印象的だった。デイヴィッド・リンチが葉巻をくゆらせて楽しそうに彼を演じているのは、何とも不思議な感じだった。