こんな実験が行われた(よくもまあ、こんな実験をしたものだと思ったりするが)
10歳から11歳くらいの20人の男の子がある孤島に連れてこられた
男の子たちは10人づつのグループに分けられた後
綱引きなどのグループで戦う競技をすることになった
その時の男の子たちの行動や気持ちを観察するのが実験の目的で
そこでは敵対心に燃えた感情が芽生え、相手を批判する言動が飛びだし
険悪な状況になることもあった
その後で実験の主催者は、島にある水道施設が壊れてしまった状況を
作り出して、彼らの行動を観察した
すると先程まで感情的にまずい状況にあった男の子たちは
水を確保するために力を合わせて協力するようになった
この結果は、なんとなくそうだろうなと想像がつくし
この結果にホッとする
つまり人は偶然でもグループ分けをされてしまったならば
自らのグループを守るために
相手の悪いところを見つけては批判をする傾向があるということだ
グループの結束力を高めるために相手を罵るというのは
戦術的に現実的な方法なのかもしれない
だが、それは真に必要とされる物事の解決には役立たないということだ
この実験のようなグループ分けによる批判合戦が、至るところで起きていないか
フトそんなことを考える
国でも市でも、感情をむき出しにして批判し合うことは珍しくない
確かにのんびりと、おっとりと構えてなどいられない状況かもしれない
多くの人が、こうしたほうが良いと漠然と行っていること
多分それは、倫理とか正義とかに通じる自然法的な解釈による行動が
当たり前のように行われていないことを示している
誰かが緻密に考えて、こうこうすべき!と考える方法より
みんながふんわりとこうすればいいと考える方法のほうが
世の中はうまくいくのではないかと、つい思ってしまう
もう少しすると、新城から豊橋向かう道路には柿の販売所が登場する
少し形の悪いものや傷んだものが袋詰され、とんでもない安さで売られている
大半は無人で、料金の入れる箱とか竹筒があって、無防備に柿が並べられている
お金も、柿も、大丈夫か?
と思うが、案ずるより生むが易しで、大半の人は常識的な判断でこのシステムの
ありがたさを味わっている
世の中がこのようなそれぞれの善意を前提に回って行けばいいのに!
とつくづく思う
(一人の悪い例が出てしまうと、このシステムは壊滅してしまうかもしれないが)
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