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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

蒼穹のファフナー EXODUS 第26話 『竜宮島』 感想2 一騎・総士・真矢の運命について

2015-12-30 13:27:58 | ファフナー
どうも中にはこの最終回に対して、「尺が足りない」「描写が足りない」「感情移入ができない」という声もあるようだけど、そういう人たちは多分、最終回だけに「終わり」が記されると思いすぎているか、もしくは「終わり」にはいくつもエンドがあってどこかにTRUE ENDがある、といった発想に囚われ過ぎているんだと思う。

要するにラノベやゲームに毒されすぎてるんじゃないかな、と。

前者については、最終回だけでなくシリーズ全体を通しての展開から解釈する、あるいは、少なくとも終章の始まりといえる23話以降の4話で最終話だと思って振り返ればいいと思う。

後者については、示された最終話(ないし最終章)の構成から、まずはきちんと製作陣の意図を汲みながら自分の解釈をしてみればいいと思う。

尺が足りないのは、どんな作品でもそうであって、だから制作者はその限られた中で表現をする。たとえば、感情移入ができないのは、むしろそれを狙っているからではないか?と想像してみる。そうすれば、大抵の場合、違う見え方が浮かんでくる。

多分、このファフナーはそういう態度(やリテラシー)が必要になる作品だと思う。こういっては何だけど、視聴者が作品を選ぶように、作品(の制作者)も視聴者を選ぶものだから。その当たり前のルールを思い浮かべる方が有益だと思う。

で、最終話、最後まで見て、ああ、そういうことが伝えたかったのか、と思ったのは、大きくは2つで

○災厄を未然に防ぐことの大切さ
○判断を放棄することの人間としての罪

ということ。

前者は、最終的にアルタイルとの対話の狙いが、実は「アルタイルの封印」にあったこと。アルタイルという存在(「純粋ミール」)が桁外れの圧倒的存在であり、そのような存在とまともに対峙できる存在など、地球上にはミールやフェストゥムを含めてまだ存在しなかったということ。だから、アルタイルの封印が可能になった状況の出現を、織姫は「一番希望に満ちた未来にたどり着いた」と表現した。

もちろん、見る側としてはアルタイルとの間で積極的な対話がなんとかなされると思っていたわけで、その対話がなされずにいきなり封印された、というのには、肩透かしを食らった印象は免れない。しかし、それでも、これが「最善策」であった。現時点で直接対話を試みたり、ましてや戦ったりするなど、悪手の極みだったわけだ。

アルタイルの圧倒的存在っぷりは、地上にアルタイルが姿を現した時点で、甲洋や操が即座にお手上げだ!と表明したところから明らかだし、織姫自身もアルタイルと対話可能な存在は今はまだいない(つまり、未来には存在する)、と率直に伝えたわけで、兎にも角にも、アルタイルが自主的な判断で勝手に動き出す前にその動きを封じる必要があった。

見ている側からすれば、まさか、対話の内容がそんな消極的なものだとは露にも思わなかったわけだけど、でもそうすることで、災厄を未然に防ぐことができる。もちろん、未然に防いでしまった以上、その場に居合わせた者以外、そのミッションの困難さには気づかない。だから、最後に、美羽は真矢に対して「みんなを守ってくれてありがとう」と感謝の言葉をかけたわけで。

この、ある意味で極めて「地味な」終幕が、最終話にカタルシスを求めた人たちからすると、イマイチな印象をもってしまうのかもしれない。

それでも竜宮島は実際にアルタイルの封印場所、つまりは「寝所」としてアルタイルを受け入れ、海の底に消えていった。それで「最悪のシナリオ」は避けられたけど、しかし、アルタイルを封印しても、フェストゥムと人類の衝突、あるいは、人類どうしの紛争にも対処しなければならない。その役割を担うためにアショーカと海神島が必要だった。

そう思うとすでに物語の最初の時点で、アショーカ(のミール)は、エメリーなりナレインなりに憑依し、彼らを存命させるために力を貸すかわりに、アショーカ自身を海神島に安全に連れて行くことを求めていたことになる。

つまり、アショーカと人類の間にもすでに共生関係なり盟約関係が生じていた。アショーカはいわばエメリーたちに分散して寄生することで、確実に安全に海神島まで運ばれることを選んでいたのだろう。実際、25話で一旦は、アショーカのミールは同化され粉砕されたように見えたわけだから。

このアショーカの狙いは、アショーカのコアがベイグラントに同化されて消えたはずなのに復活しているのはどうして?という(ミツヒロも口にした)疑問への回答になっている。だから、エメリー、ナレイン、そして弓子は、アショーカの寄生によって「生かされていた」自分の命を放棄して、アショーカの欠片を戻さなければならなかった。彼らの身体に寄生して分散して運ばれたミールから、アショーカの再生が成し遂げられたことになる。

このことは多分、織姫も承知していたことだった。おそらくこのことは、物語当初竜宮島を訪れたエメリーがゴルディアス結晶を産み出す力を竜宮島に与えた時点で、アショーカの意図は織姫にも伝わっていたんだと思う。

つまり、ゴルディアス結晶は北極ミール由来の力であって、だからこそ「新同化現象」も発現した。アルタイルが飛来した時、竜宮島が封印場所になることもおそらくは、エメリーの織姫へのファーストコンタクトの時点でアショーカの意思として伝わっていたんだと思う。だから、織姫は急遽、成長し下界の外に現れなければならなかった。

今思うと、一騎が右腕を失い昏睡状態になった時にナレインがアショーカの祝福を与えようとした時、織姫がその申し入れを強く拒んだのも、一騎がアショーカの祝福を受け入れていれば、最終回の弓子同様、アショーカの再生のために命を返して消失しなければならなかったからなのだろう(危ない、危ない)。

同時に、竜宮島水没後の世界で、竜宮島に代わり人類とフェストゥムの紛争処理隊として海神島が機能するために、総士が海神島のコアとして再誕しなければならなかった。そして、乙姫/織姫同様、生誕を繰り返す存在となった総士を庇護する存在が必要で、それが「永遠の戦士」として竜宮島の祝福を受けた一騎だったということだ。

一騎をそのような総士の庇護者にするためにも、一騎の祝福(つまりミールの力で生き続けること)を与えるのは、アショーカではなく、竜宮島でなければならなかった。

ということは、織姫がシリーズ冒頭で一騎と総士を前に「二つで一つの力」を言っていたのも、その時はてっきりザインとニヒトのことだと思っていたけど、それはそのまま一騎と総士のことだった、ってことだよね。その時「いのちの使い方」を考えろ、と詰め寄っていたのも、最終段階で、一騎と総士がともに人であることをやめることを見越していたことになる。

多分、織姫は、EXODUSの物語の顛末を目覚めた時点で全て予見していたのだろう。その上で、あくまでも行動を起こすのは一騎や史彦などの島民に委ねていた。

どうしてその意図や未来のイメージをそのまま伝えないのか、実は疑問に思っていたのだけど、最終回を見て思ったのは、アルタイルとの接触が実はそのまま地球の絶滅を意味することだったから、史彦たち島民の生きる意志を削ぐことはしたくなかったからなんだろう。で、その織姫の意図にうすうす気づいていたのが芹だった、というわけで。

それから、最終回で、真矢が人類軍担当になったため、ザルヴァートルどうしの決戦には全く蚊帳の外にされ、その一方で、一騎と総士が二人の世界を作ってしまったのに対して不満に思っている人もいるようだけど、すでに物語の展開上、一騎と総士の人外化は既定路線だったから、プロットを作る側(つまり冲方丁を含めた製作スタッフ)からすれば、仮に一騎と真矢の間で恋愛を描こうとしたら、最後に悲恋しか待っていないわけで、正直、それはこの尺の中で、本筋とは関係ない迂遠なものにしかならないと判断したのだと思う。それで、真矢には人類軍との折衝役という「調停者」の役割をあてがうことになったのだろう。

そういう意味では、カノンが未来を探り当てるために自らのいのちを投げ出して消失した際、「一騎と二人の未来」という、カレンからすれば最善、しかし、島の皆にとっては最悪となる未来を拒んだのも、遠回しに、真矢もカノン同様、二人だけの未来を選択させないようにするためだったのだろうな。

ここは微妙なところだけど、カノンと真矢が親密な友人どうしであったことを踏まえると、カノンが選択しなかった道は真矢も選択できない、というのはわからなくもない話だし、そもそもカノンが人類のために行ったことは島の人のためにであり、もちろん、一騎のためでもあるわけだから。

カノンと、そして翔子とも親友だった真矢からすれば、一騎に対する想いとは、一騎に対する恋愛感情をすっ飛ばして、母性そのものの「守りたい」という気持ちそのものだったのだと思う。

もちろん、こんなことは、真矢本人の口からは表現されていないので、あくまでも推測でしかないけれど。でも、一期からの真矢の行動や交友関係を見ていれば、彼女(たち)がどういう思いや判断から行動するかは自ずと想像できることだと思う。

だから、初見の人たちにはそこまで理解を求めるのは酷なことだし、それゆえ、「感情移入できない」という不満も出るのは当然だとは思う。

となると、むしろそういう初見の人たちはとりあえず放棄して、一期から見続けている古参のファンの心情の方を優先した制作サイドの英断の方が素晴らしいということになると思う。この点は、今時よくやった!と心底賞賛したい。

ともあれ、こういう形で、一騎、総士、そして真矢の終盤における役割が確定してしまった。真矢は人外にはならないけど、父ミツヒロの記憶を呼び覚ます展開にすることで、彼女が普通の女ではなく、ヘスター同様、父の業を背負う「貴人」の血脈にあることが強調され、(一騎や総士とは一味違う)真矢ならではの「運命」が与えられた。

つまり、真矢も比喩的には一種の「人外」設定にされてしまった。弓子亡き後の美羽の後見人にならざるをえない状況も、彼女を「公人」として、自らの幸せだけを願う存在であることを困難にさせてしまった。

こうして、一騎、総士、真矢、そして(消失した)カノンという、第1クールのOPを飾った四人が皆、人としての自由な生を諦める方向に舵を切らざるを得なくなったために、逆にその反動として、その他のファフナーパイロットが、そうした公的役割からは解放され、あくまでも個人の幸福を願う存在として描かれた。

特にそれが顕著だったのがすぐ下の後輩四人で、島の平和を地球に広めることを願った広登、彼とともに歩むことで前代未聞の葛藤に直面し続けた暉、島を守った故人たちへの侮辱を一切許さない里奈、乙姫から織姫に至るまで島のコアへの感謝を示し続けた芹。彼ら四人は、個人としての願望を衒いなく表明し続けた。だからこそ、四人中三人が消える、という結末を迎えたわけだけど。


特に、最も劇的だったのが暉で、彼は結局、物語の構成上「死ねない永遠の戦士」になる道が約束された一騎に代わって、苦悩する人間の英雄として、華々しく死ぬ「誉れのある死」を体現する役割を担わされてしまった。それが、24話におけるゼロの大往生の場面。

また、主役四人の間でまともな恋愛感情を描けないという制約に対して、幼なじみどうしの結婚を成し遂げ、人としての幸福を得て、さらには夫婦ともども最後まで生き残ったのが剣司と咲良だった。一期からの咲良の同化後遺症を考えれば、まさに奇跡の生還だと思う。
あるいは、もっと淡い恋愛感情の交換を行っていたのが、零央とミカミカの二人。特に、零央は、ルーキーとしての英雄役も引き受けていた。

ちなみにカノンは一騎たちの一つ年下だったから、仮に彼女が存命だったとしても成人式には参加できなかった。そのあたりの小さな設定上の齟齬も顕在化させたくなかったのも、カノンが途中退場した理由の一つではないかと思う。そして、彼女が実はひとつ下の後輩だったということを踏まえると、すぐ下の後輩五人中、実に四人が消えたことになる。

こういった具合に、物語の大きな構成から、竜宮島の登場人物たちには、それぞれ明確に役割が割り振られていたわけだ。もちろん、それは、最後のアルタイル封印という終幕を見てから初めて可能になる解釈なのだけど。

ともあれ、以上が最初に上げた「災厄を未然に防ぐことの大切さ」というテーマとそれから引き出された物語の細部や登場人物の役割というところ。

で、もう一つの「判断を放棄することの人間としての罪」は、端的に言えば、途中までは善として描かれていたペルセウス中隊と、アルゴス中隊のことが中心になる。

・・・のだが、さすがに長くなったので、一旦ここで切って、このことは次のエントリーで記すことにしたい。

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東京レイヴンズ 第14巻 感想

2015-12-30 01:43:50 | レイヴンズ
待ちに待った第14巻。
春虎たちは倉橋と相馬の陰謀を阻むことができるのか。。。

ということで、スペース、空けときます。




















































いやー、面白かった。
いつものことだけど、ためにためた伏線を一気に収束させていくところは小気味いい。

まさに、第一部の鴉羽と夏目によるクライマックスとそっくりの疾走感!

ホント、素晴らしい。

それに、わかってはいたけど、十二神将がしっかり二分され、自らの倫理観によって、ちゃんと倉橋に楯突く選択したところはいいねぇ。

それにしても、まさか、山城が師匠たる倉橋と袂を分かつとは思わなかったけど。三善がいつしかいい指南役になっていたってことだよね。

で、十二神将組で一番シビレた場面は、やっぱり、宮地と弓削の決裂の場面だなぁ。
あそこは、弓削の不明な部分をきちんと指摘してやる宮地がよかったよ。

もちろん、普通に考えて、おい、弓削、そこで宮地に会いに行っちゃいかんだろ、って誰もが思うほど、弓削が迂闊なわけだけど。その迂闊なところを、餞別とばかりに諭すところがね。

まぁ、その結果、あれだけ単純に敵対し続けきた弓削と山城が、夏目たちを援護する側に回っても、全くおかしくない状況を作るのだから、作者は上手いよなぁ。

で、名場面は他にも幾つもあるのだけど、個人的に笑えたのは、蘆屋道満のヤンチャっぷりね。というか、まさか、あそこまで道満が怪物化して相馬に対峙するとは思わなかったけどw

それに、道満がそんなガンバリを見せた理由が、どうやら今では泰山府君(の一部?)となった、かつての仇敵というか術比べの好敵手であった安倍晴明、というのはね。

あ、これ、本巻では明確には語られていないけど、この前に出ていた番外編3の、最後に添えられた夜光編の中で、それとなく夜光が晴明と対話してきたという描写があったので、多分間違いないと思う。

しかし、荒御魂が神と同列というのはビックリしたけど、それによって、この作品世界の中での、神の位置づけが明確になってよかった。なにしろ、泰山府君が実は安倍晴明だった、ということもあるようだから、要は生霊のような存在が神に転じる、ということだよね。いやー、日本の神様って楽ちんだな。人からクラスチェンジできるのだからw
この辺りは、キリスト教やヒンドゥー教とはぜんぜん違うな。

まぁ、それはさておき。

そんな道満の献身的?ガンバリによって、ようやく、春虎と大友と冬児たちが合流。

で、再会の歓びを噛みしめる暇もなく、阿吽の呼吸で、春虎を夏目、そして飛車丸を逃がすために、盾になることを選択するんだから。

で、先に残った冬児たちのチームを見ると、いやー、鬼ばっかりw

しかも角行鬼まで残って。

で、これ、前にも書いたことがあるのだけど、この感じで行くと、ホントに最後の決戦場面で、春虎の両横に立つ護法は、角行鬼と飛車丸ではなく、冬児と夏目になりそうだね。

先に後者の方から言うと、なんたって、今回明かされた最大の秘密は、夏目と飛車丸が同じ魂の持ち主だ!ってところで。

いや、それ読んだ時には、えええええええ??????   ってなったもんね。

文字通り、ワケガワカラナイヨ。

で、そのせいで夏目の泰山府君祭は失敗した、といわれてもね。。。

普通に考えたら、同一の魂、ということは、飛車丸が自分自身を未来の夜光の転生先である春虎に出会うまで封印したとしたのだとしたら、その一方で、飛車丸自身が、夜光のように転生の道を選んで夏目に転生していた、ということだものね。

で、多分、そのカギを握るのが、次巻の過去編で、とりわけ、夜光自身が試みた泰山府君祭が鍵なんだろうな。

よく考えれば、夜光がなぜ泰山府君祭を執り行ったのかは、作中でも謎のままだったよね。もしかしたら、そもそもその泰山府君祭自体が、飛車丸に対して行ったことなのかもしれない。で、その時に、魂が二つに分離されてしまった?

まぁ、このあたりのことについては、第一部の最後のところで、星詠みの力に目覚めた京子が、世界は一つではない、などと、いかにも平行世界が実は当たり前・・・みたいなことを言っていたから、本来は、飛車丸しか存在しない世界と夏目しか存在しない世界が重なり合ってる、なんていうか、量子的エンタングルメント?が生じている不思議で不安定な世界が、今の春虎たちの世界なのかもね。

となると、二つの魂が一つに収束して、この世界でのあり方として夏目が選択される可能性は高い。つまり、飛車丸が夏目の中に吸収される。結果として、飛車丸は消える。

で、そうなると、今度は角行鬼の方なのだけど、気になるのは、今回、彼はいつになく大ダメージを受けてしまっていて、いくら千年存在し続けた茨木童子とはいえ、神を降ろした相馬多軌子の力が流れこむ八瀬童子系の夜叉丸・蜘蛛丸を相手にするのはいかにも不利。

しかも、同じく八瀬童子の影響を受けた生成りである冬児は、多軌子の前では力を震えないハンデがある。となると、何らかの手段で、角行鬼が茨木童子としての力を冬児に授けて、冬児の存在をランクアップさせる、とかの暴挙にでるんじゃないかな、と。
なんか、ナメック星でパワーアップしたピッコロみたいだけどねw

ともあれ、その場合は、角行鬼も消えて冬児一人となる。

そうして、晴れて、春虎の護法が、夜光伝来の角行鬼と飛車丸ではなく、冬児と夏目になる。その三人で、多軌子と夜叉丸・蜘蛛丸に対して最終決戦を挑むことになる。

・・・なんて展開になるんじゃないかなw

ついでに言えば、月輪を宿した秋乃は霊界通信で、泰山府君祭たる安倍晴明とチャネリングしながら、春虎の後方から晴明のメッセージを伝える一方で、相馬一族の末席として、多軌子に降りた神を外すために、何らかの重要な役割を果たすのではないか。

いずれにしても、秋乃が意外と、春虎と多軌子の対決の調停役になるのではないかなと。

そうして大団円を迎えられるといいけど。。。

でも、最終的には、平将門公が降臨しちゃうのかね?
だとすると、なんとか、再び将門公を鎮める手立てが必要になるのだけど。
で、そのために、春虎と多軌子が共闘できるといいんだけどね。。。

でも、それは流石にお花畑過ぎるかな?(苦笑

まあ、何にしても、まずは夏目の存在の安定が第一なんだけどね。

それにしても、まさか、夏目にこんな秘密があったとは、というくらい、飛車丸と同じ魂でだから近づけなかった、という春虎の説明には頭が「????」となったのだった。

それ、流石にワイルドカードすぎるし、後出しジャンケン過ぎるだろうと思っていたら、あとがきで作者が、ちゃんとこのことは最初から考えていて、きちんと仕込んでいたという痕跡も残していたよ、といわれて、うーんと唸ったのだった。

でもまぁ、確かに、どうして物語の立ち上げである第一巻で、夏目は終始、北斗という式神で現れなければいけなかったのか、という疑問はあったわけで、何らかの仕込みのために行っていたはずと見立ててはいたんだけどね。

で、個人的には、夏目が実は北斗の生成りで、北斗のほうが実態だったんじゃない?とか前に書いていたわけだけど、いやー、まさか、飛車丸、すなわちコンが関わってくるとは。

もっともまだ北斗が全く関係ないわけでもないと思っているけれどね。
なにしろ、今回、夏目と飛車丸の繋がりまで開示してきたわけだから、次巻、なぜ二つの同じ魂が一つの世界にあるのか、という問いに答える段階で、もういくつかのギミックが仕込まれているはずだから。

でも、そこで、もしも土御門家の護法で永遠の存在?だった龍の北斗が飛車丸の思いの受け皿になって、北斗がその思いを受け止めて龍の生成りとして生まれたがの夏目だった・・・なんて説明がなされたら、もう感激なんだけどな。

でも、確か、夏目は捨て子で、両親が誰かわからなかったはずだよね。
となると、龍から授かった子、という、お伽話みたいなことが起こってもいいと思うのだけどね。

ともあれ、いやー、面白かった。
群像劇、サイコー!

ついでにいえば、道満の口から出る「呪」の説明は、短いけれど、千年を渡ってきた荒御魂の口上だということで、極めて説得力を持っていてすごかった。

というか、道満にしても、角行鬼にしても、安倍晴明を今の世に呼び寄せるというありえなさをなくすための存在として仕込まれていたとは驚き。

で、その仕込みっぷりはマジで凄いわ。
そうして、千年続いた腐れ縁を、現代で精算するという展開も説得力を持ちそうだから怖いw

あと、あれで大友が退場するとは思えないので、一次退場していた木暮とともに、あと、涼もあわせて、三羽鴉が頑張りを見せる場面にも期待。まぁ、それは次の次の巻になりそうだけど。

あ、そうそう、鏡が無理やり霊体を切り刻む?ことで倉橋の封印を解いていたけど、今回、倉橋が亡くなったから、天海や鈴鹿の額のバッテン封印も解除されたと思っていいんだよね?

ということは、少なくとも鈴鹿は次の次の巻で、第一巻なみの、ヤバイ神童っぷりを発揮するというのでいいんだよね?

いやー、てっきり、鏡が封印解除の術を身につけたから、鏡によって鈴鹿や天海の封印も解除されるのかと思っていたけど、術者が死んだのだから、消えるという理解でいいのかな、と。

まぁ、そうなると、あと二巻で終わり、ということかな。

第一部もそんな感じだったからなぁ。
さすがにそれ以上は、引き伸ばさないよね、この作者は。

ということで、あと二巻!楽しみだ!

まずは、次の過去編を早く!

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蒼穹のファフナー EXODUS 第26話 『竜宮島』 感想

2015-12-30 00:20:01 | ファフナー
綺麗な終わり方だな、というのが第一印象。
もちろん、駆け足だったな、というのはあるけれど、その中でちゃんと濃淡を付けて終わらせてくれたから十分すぎるほど満足できた。

素晴らしかった。

いまどき、シリーズ全体で、26話全部を通じてようやく理解できる作品が送り出されたことに驚くし、素直に称賛に値する作品だと思う。

見終わって、一番やられたな、と思ったのは、EXODUSというのが、他でもない竜宮島からの脱出だったこと。
すっかりアショーカ組の強行軍こそがエグゾダスだとばかり思っていたから、この終わりには、あーそう来たか、と素直に脱帽した。

これで、竜宮島の人びとは、故郷をなくして他の地域に行くしかない。
で、これはそのまま聖書のユダヤ人の扱いだよね。
いつかカナンの地へ、すなわち、いつか竜宮島に帰るという願いとともに見知らぬ土地に放り出されて生きていく。

この終わりがなかったら、わざわざ真矢を「調停者」として位置づけ成長させようとする描写はいらなかったわけだから、ものすごく納得。

もともとファフナーは、その名からもわかるように北欧神話をベースにした物語であったわけだけど、EXODUSになって旧約聖書的なキリスト教的な世界観が加えられたと思っていたので、この竜宮島の脱出劇(プランデルタ)はとても腑に落ちた。

そうして、島の人達はみな、島に息づいていた「平和」という文化の伝道者として世界に散っていくことになる。それこそユダヤ人のように。
もちろん、反発や差別もされるだろうけど、それを乗り越えるべき運命を島民皆が、織姫(と総士)の犠牲によってすでに背負ってしまっている。

今回も度々繰り返された「祝福」という言葉に見られるように、キリスト教的モチーフは、一期の頃から、特にフェストゥム側で見られたわけだけど、部分的にミール+フェストゥムと人類との共存・共生をも描いたEXODUSでは、聖書的世界観が更に増していた。その決め手が最後のエグゾダスであったことには脱帽。

さらにいえば、最後のアルタイルを封印して海に沈む竜宮島は、イエスの再臨と審判の日を「希望」として待ち望む様子そのもの。だから、EXODUSのプロットはホントに聖書的だったんだなと思う。

それに加えて、アショーカの登場で、仏教的な輪廻転生的死生観も強調された。

とにかく、その世界観の構築に脱帽。
神話的モチーフを十全に扱っていた。


そのうえで、次に納得したのが、一騎たちの「人生」のこと。
これは前回も記したけど、彼らが成人式を迎えて「大人」になった、という描写がしっかりされていたことにも呼応している。

つまり、EXODUSは、一騎の同期が成人することで、社会の責任をきちんと引き受ける存在になる、そのための成長物語だったんだな、というのがよくわかった。

なにより、一騎が物語の最初からずっと気にかけてきた「いのちの使い方」を見つけ、七夕の短冊に記した「生きる」という願いがかなったのだから。

(だから、EXODUSは、人びとが「生きる」ことをきちんと選択できることの意義を問う物語でもあった、ということ。)

一騎の同級生たちが大人になったというのは、端的に言えば、

剣司と咲良がきちんと「結婚」したこと
真矢が、島の外の世界にでかけ、「調停者」としての運命に気づけたこと
一騎が、永遠の戦士として、存在と無の地平に立つ存在を選択したこと、
総士が、生と死の循環の中に自分の落ち着く先を見つけたこと

それぞれが生きることの意味を見出した。

もちろん、終わってみれば、シリーズ通じて多数の死者も出たわけど、それも冲方らしく、「誉れある死」と「誉れなき死」とに明確に分けられていた。前者は、カノン、広登、暉、オルガ、ウォルター、弓子、ナレイン、エメリー、といった主には竜宮島とアショーカ組。対して、後者はアルゴス小隊の面々とビリー。

ビリーの死、というか殺害については、賛否両論あるようだけど、あれは、やっぱり、自分の頭で考えて選択できない存在は、どれだけ純朴そうでいい奴に見えても、確実にこの世界では悪である、ということで。ビリーの最期が、わざわざ最後にあれだけの尺をとって描かれたという事実が、彼という存在が極悪である、という制作サイドのメッセージなんだろうな。もちろん、理解可能だし、妥当な結果だと思う。

なにせ、あろうことか、これから世界を調停する役割を担う真矢に銃を向けたのだから。であれば、この戦禍の中を生き抜いてきた生粋のゴルゴである溝口さんに撃たれたのは当然の出来事。

つまり、作中で、ビリーは最悪の「否(ノン)」だったわけだよ。
絶対的に否定されるべき存在として最初から最後まで描かれた存在だった、ってことでしょ。
いつまでたっても、自ら判断しようとしない、亡霊のような心の持ち主として。
人がいいだけのキャラとして彼を捉えてはいけないわけで。
彼に比べたら、頭のネジが外れたキースなんてまだ可愛いものだってこと。

このことは、書き始めたら長くなりそうなので、またの機会に。
というか、他にも書きたいことは山のようにあるのだけど、これくらいで。

そうそう、どうも「尺が足りない」とか「最後が雑」という人たちもいるみたいだけど、もともと尺の制約の中で作っているわけだから、前者の非難は実は非難になっていなくて、その尺の制約の中でこのような表現が選択されたのは何故なのか?とまずは自問してみたほうがいいと思う。で、後者の「雑」というのは、そう見えるんだったら、それは圧倒的に作品を見るという経験が足りてないないから、映画とか小説とかもう少し読んだらどう?、としか言えないなぁ。

あと、「描写が少ないから感情移入ができない」という意見もあるようだけど、ファフナーは、上でも書いたように、もともとは北欧神話とか聖書などの神話や叙事詩的なものが素材になっていて、特に叙事詩なんて神によって人間が蹂躙されることなんてしょっちゅうだから、そもそも人間の感情なんて表現されない。

だから、感情移入云々という観点自体が、とてもラノベ的だよね。
でもさ、ファフナーは、キャラ小説ではないからね。
もちろん、それぞれ、気になる登場人物がいて、その人物から物語世界を堪能することは否定しないけど、でも、それはファフナーの世界では劣後する。

特に最後の決戦のところなんて、決戦なんだから理由なく殺害されて当然。
その理不尽さも含めて戦闘だから。
だからこそ、自らの死に意味を持たせることができるかどうか、というのが問われるわけで。

そういう意味では、ミツヒロと対峙した一騎が、互いにルガーランスを刺しながら、ミツヒロを信じると言ったことと、真矢に銃口を向けたビリーが、何を信じればいいかわからないと錯乱していたのは、綺麗な対比になっている。

死者の扱いにしても、広登やカノンは、もう一回最後に現れるかな、と実は期待していたけど、結局、人の世界には戻ってこなかった。だから、あの消失したカノンは、あの形で死を迎えたのだな、と改めて理解できた。

そういう意味では、死の意味や重さを逐一理解しながら描写しているのがやはりファフナーだということ。

あ、やっぱり長くなってきた(苦笑
一度切ろう(苦笑

ともあれ、素晴らしい作品だった。

続編として、十数年後、十分成長した美羽がアルタイルと対話することを主題とするような新章が作られるなら、もちろん期待したいけど、今回の話の直後の状況の話なら特には必要ないかな。きちんと、26話で完結していると思うから。ましてや、キャラ小説的な日常編なんて全くいらない。ファフナーはそういう話じゃないから。

そうだ、真矢が一騎と結ばれなくて可哀想、という声もあるようだけど、それもお門違いというか。この話は一騎と総士の話だし、そもそも恋愛だけが愛情ではない。その点で、一騎と真矢も深く結ばれている。いわゆる、普通の男女の愛は、咲良と剣司のペアが担ってくれたということで納得すればいいと思う。

うーん。やっぱり書きたいことはいくらでもあるな。
でも、とりあえず、一旦ここで締めておこう。

とにかく、素晴らしい作品。
満足!

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