熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場庭園、そして、湯島の梅の花

2009年02月10日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   梅の花の季節である。
   甘酸っぱいほのかな香りに引かれて近づくと、可憐な花弁がそよ風に揺れている。
   私が子供の頃に見た梅の花は、白色5弁の一重のシンプルな花だったが、最近では、白から濃赤まで、そして一重から八重まで、たくさんの品種の梅の花をみかけ、そのバリエーションの豊かさにビックリするほどである。
   私の庭には、ピンクの八重咲きの枝垂れ梅が2本植わっているが、まだ、蕾が固く、小鳥たちの良い止まり木になっている。

   文楽鑑賞の合間に、三宅坂の国立劇場の庭に出ると、今、梅の花が満開である。
   何本かかなりの大きさに育った梅ノ木が数本あり、季節の庭に彩を添えているのだが、目立って華やかなのは、2本の紅白の小さな木の梅の花である。
   1996年9月に、国立劇場開場30周年記念の文楽「菅原伝授手習鑑」公演の時に、大宰府天満宮から贈られて植えた紅梅・小田紅と白梅・貴山白の2本で、人の背丈前後だが、今を盛りに咲いている。
   
   紅梅は、非常に濃い紅色の八重咲きだが、それほど花弁が重なっておらず、長くて勢いの良い蘂が四方に伸びて華やかなので、正面から見ても横から見ても、中々風格があって素晴らしい。
   白梅は、5弁の一重咲きで、ガクが赤みがかった褐色の典型的な梅の花だが、たくさんびっしりと花弁をつけているので八重咲きのように華やかである。

   大宰府の天満宮は、一度だけしか行っていないし、梅の季節でもなかったので、豊かな枝ぶりだけしか知らないが、東京より少し暖かい筈なので、今を盛りに咲いているのであろう。
   京都の北野天満宮は、飛び梅の本家とも言うべき場所なので、中々梅の季節には見ごたえのある風情を醸しだす。
   最近では、永らく行っていないが、奈良の月ヶ瀬の梅林の素晴らしい梅の花とともに、懐かしく思い出すことがある。
   奈良も京都もそうだが、梅が咲き終わると桃の花が咲き、桜の季節になって、一挙に春めくのだが、ソメイヨシノ一辺倒の関東とは違って、関西の桜は種類が多くてバリエーションに富んでいるので、入れ替わり立ち代り、かなり、長い間桜が咲き続けて楽しませてくれる。

   この日は、朝の文楽公演だけで、夜の歌舞伎まで時間があったし、気持ちの良い晴天だったので、湯島天神に向かった。
   あのお蔦主税の湯島の白梅の歌謡曲で有名になってしまっているが、確かに、境内の梅の木の大半は白梅だが、しかし、寒紅梅など何種類かの紅梅も咲いている。
   白梅は、白加賀などシンプルな一重咲きだが、古木が多いので、短く丁寧に刈り込まれて精巧な透かし彫りのように整えられた樹形が実に美しく、ちらほら、咲き始めて白い模様を散りばめ始めた姿が、中々素晴らしい。

   ところで、この境内にも、泉鏡花の婦系図の公演を記念して、團十郎と波野九里子が植えたと言う白梅があり、白い花をつけ始めている。
   この神社だが、都心にありメトロ湯島駅からほんの数分の距離なので参詣者が多いのだが、流石に天神さんなので、絵馬がびっしりで入試合格祈念が大半である。
   東大入学などと言ったものはなく、殆ど知らない学校や施設の名前が書かれた絵馬で、京都のとある神社で見かけた「男はんを忘れられしません。どないしたらよろしおす。」と言った絵馬もない。庶民の願いはささやかなのに、力を握った人間は悪いことばかりしていて、為政者は無能の限りのこの日本。
   春が近づけば忘れずに花を開く白梅の美しさに見とれながら、湯島天神の雑踏をあとにした。
コメント (1)
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