キンドルバーガーは、偉大な国際経済学者で、学生の頃結構お世話になった筈なのだが、私の関心事の文化文明史や経済史との関りで、久しぶりに、20年以上も前に著わされた「経済大国興亡史」を読み始めた。
キンドルバーガーは、国際経済史にも造詣が深く、この本を読み始めると、多くの経済発展・衰退論を網羅しながら、いわば、壮大な文化文明史を読んでいるようで、スケールの大きな人類の歴史を、主に西洋史だが、展開していて面白い。
総括的なレビューと言うよりも、この本を読んでいて、興味を感じた論点などに触れながら、感想を綴ってみたいと思う。
最初に面白いと思ったのは、工業のイノベーションについて論じているところで、引用形式で、一般論としては、必要こそが発明の母であるが、「多くの技術革新は、美の探求に起源を持っていたのである」と言う指摘である。
明示されているのは、
彫刻のための新しい合金、ステンドグラスを嵌め込むための溝形材を作る過程で発明された押し出し成形の工程、織物をもっと柔らかく、もっと明るい色具合に、もっと白くと言ったように、より心地よくするための化学薬品や染料などが、それにあたると言う。
美の追求の過程で、新しい資材や作成方法などが生まれ出て、美そのものの造形なり表現が、より、高度化し深化すると言うことであろうか。
美の探求に起源を持つと言う発想が面白いが、これも、必要が発明の母であると言う一種のバリエーションだと言えなくもない。
もう少し広く言えば、真善美の探求そのもの、もっと、ざっくばらんに言えば、より良い生活環境を作るために、人々が努力する過程において、イノベーションが生まれると言うことであろうか。
美の探求は、その一つのプロセスだと言うことでもある。
もう一つは、戦争は、国の成長あるいは衰退を促進する温室であり、急激に成長する国の経済の上昇過程を加速化して、生気を失ったり、勢いを失ったりした国の経済の下降過程を加速化すると言う仮説である。
このケースは、前世紀の二度の世界大戦後のアメリカの経済成長とイギリスの相対的な衰退をともに加速化したことで良く分かる。
この指摘よりも興味深いのは、敗戦国が、戦後10年ないし15年に、経済成長を遂げると言う見解である。
経済成長の「キャッチ・アップ論」で、平和が戻ると、先頭を走る国が成功させた技術革新にただ乗りできるようになったために、新しい技術がこれらの国でもたやすく利用できて経済成長を図れると言うことである。
第二次世界大戦によって、戦争による途轍もない物理的な破壊を経験した日本やドイツの奇跡的な戦後復興と急速な経済成長は、これを物語っている。
尤も、どの国でも成長すると言うわけではなく、その国の社会の反応力次第ではあるのだが、このただ乗り理論は、戦争とは関係なく、20世紀後半から21世紀にかけての新興国の驚異な経済成長をも説明している。
中国やインドは、敗戦同様の酷い経済状況からの「キャッチ・アップ」で、正に、グローバリゼーションとICT革命が、この成長発展過程を加速化させたのである。
文革収束後、入国が可能になったので、1980年に北京を訪れて、中国政府の役人と共同事業の打診に行ったのだが、この頃の北京の様子などは、戦後の日本の状況と殆ど違わない程、悲惨な状態であったのを覚えており、その後の中国の急速な経済成長は、「キャッチ・アップ」論の実現以外の何ものでもないと思っている。
キンドルバーガーは、国際経済史にも造詣が深く、この本を読み始めると、多くの経済発展・衰退論を網羅しながら、いわば、壮大な文化文明史を読んでいるようで、スケールの大きな人類の歴史を、主に西洋史だが、展開していて面白い。
総括的なレビューと言うよりも、この本を読んでいて、興味を感じた論点などに触れながら、感想を綴ってみたいと思う。
最初に面白いと思ったのは、工業のイノベーションについて論じているところで、引用形式で、一般論としては、必要こそが発明の母であるが、「多くの技術革新は、美の探求に起源を持っていたのである」と言う指摘である。
明示されているのは、
彫刻のための新しい合金、ステンドグラスを嵌め込むための溝形材を作る過程で発明された押し出し成形の工程、織物をもっと柔らかく、もっと明るい色具合に、もっと白くと言ったように、より心地よくするための化学薬品や染料などが、それにあたると言う。
美の追求の過程で、新しい資材や作成方法などが生まれ出て、美そのものの造形なり表現が、より、高度化し深化すると言うことであろうか。
美の探求に起源を持つと言う発想が面白いが、これも、必要が発明の母であると言う一種のバリエーションだと言えなくもない。
もう少し広く言えば、真善美の探求そのもの、もっと、ざっくばらんに言えば、より良い生活環境を作るために、人々が努力する過程において、イノベーションが生まれると言うことであろうか。
美の探求は、その一つのプロセスだと言うことでもある。
もう一つは、戦争は、国の成長あるいは衰退を促進する温室であり、急激に成長する国の経済の上昇過程を加速化して、生気を失ったり、勢いを失ったりした国の経済の下降過程を加速化すると言う仮説である。
このケースは、前世紀の二度の世界大戦後のアメリカの経済成長とイギリスの相対的な衰退をともに加速化したことで良く分かる。
この指摘よりも興味深いのは、敗戦国が、戦後10年ないし15年に、経済成長を遂げると言う見解である。
経済成長の「キャッチ・アップ論」で、平和が戻ると、先頭を走る国が成功させた技術革新にただ乗りできるようになったために、新しい技術がこれらの国でもたやすく利用できて経済成長を図れると言うことである。
第二次世界大戦によって、戦争による途轍もない物理的な破壊を経験した日本やドイツの奇跡的な戦後復興と急速な経済成長は、これを物語っている。
尤も、どの国でも成長すると言うわけではなく、その国の社会の反応力次第ではあるのだが、このただ乗り理論は、戦争とは関係なく、20世紀後半から21世紀にかけての新興国の驚異な経済成長をも説明している。
中国やインドは、敗戦同様の酷い経済状況からの「キャッチ・アップ」で、正に、グローバリゼーションとICT革命が、この成長発展過程を加速化させたのである。
文革収束後、入国が可能になったので、1980年に北京を訪れて、中国政府の役人と共同事業の打診に行ったのだが、この頃の北京の様子などは、戦後の日本の状況と殆ど違わない程、悲惨な状態であったのを覚えており、その後の中国の急速な経済成長は、「キャッチ・アップ」論の実現以外の何ものでもないと思っている。