熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが憧れの聖地はパルテノン

2024年08月28日 | 海外生活と旅
   旺盛なインバウンドブームで、日本も今や観光立国、毎日のように、テレビでは、外国人観光客の動向が放映されている。

   鎌倉に住んでいるので、外国人観光ブームの凄まじさは身に染みて感じている。
   日本各地の観光地ではオーバーツーリズムが問題になっているが、その一つとして、「SLAM DUNK踏切」で有名とかで人気の高い江ノ電の鎌倉高校前駅近くでの中国人の混雑ぶりは常軌を逸している。何の変哲もない海岸沿いの踏切に過ぎないのだが、中国観光客にとっては豊かなナラティブに満ちた聖地であって、日本観光の必須の訪問地なのであろう。

   さて、誰もが、外国への観光については、人夫々、思い入れがあって、憧れの聖地へ向かうのであろう。
   私の夢は、ギリシャのアクロポリスの丘に立ってパルテノン神殿を仰ぎ見ることであった。
   意識し始めたのは、中学生時代で、ギリシャやローマの歴史や学問芸術に興味を持って勉強していた時であった。
   尤も、1960年代の頃のことだから、やっと戦後復興から立ち上がりつつあった貧しい日本であったので、夢の夢ではあった。

   しかし、案外早く、パルテノンを訪れることができた。
   記録がないのでやや不正確だが、多分1978年の春、ブラジル赴任時の一時帰国で、ヨーロッパ経由で東京へ向かう途中に立ち寄ったのである。
   パルテノンの素晴らしい遺産に真っ先に触れたのは、その前の1973年で、ルーブル美術館のフリーズ浮き彫りの一片であった。その美しさに感激して、イギリスに住んでいたので、大英博物館のエルギン・マーブル鑑賞には足しげく通った。フリーズの彫刻は海外に持ち出されたので、現地パルテノンには殆ど残ってはいない。
   その後、ヨーロッパ在住の時に家族との休暇旅行で一度、そして、アテネで開かれたWEFの会議に出席した時一度で、3度パルテノンを訪れたことになる。
   色々なところからパルテノンを観察して、沢山の写真も撮った。
   もう何十年も前になり、写真を探せないので、口絵写真はウィキペディアから借用した。
   対面の高みから撮ったパルテノンの写真のパネルを事務所にかけていた。
   ミケーネやデルフィにも足を伸ばしてギリシャの歴史に思いを馳せた。

   もう一つ見たかったのは、スーニオン岬に沈む夕日であった。
   アテネからタクシーを飛ばして向かったのだが、間一髪で陽は波間に隠れて空は赤く染まってしまっていたが、しばらく神殿の廃墟に佇んで涼風を楽しんでいた。運転手が、アテネを離れるときに、あれがソクラテスの独房だと教えてくれたのを何故か鮮明に覚えている。 

   ソクラテスやプラトン、ギリシャ神話や悲劇や喜劇、建築や彫刻、色々なギリシャの学問や芸術が、私に学ぶ喜びを触発し続けてくれたような気がしている。
コメント
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