関西線のキハ120で向かった先は伊賀上野。その目的はもちろん、昨年秋に近鉄から切り離されて発足した伊賀鉄道を初めて訪問するためです!
もっとも、伊賀鉄道発足にあたっての上下分離は、車両・設備面では近鉄が従来通り100%保有し、近鉄および沿線自治体による出資も近鉄が98%を負担していることから、当面は単に、近鉄の本線系統と運賃体系を切り離すことによって独自の運賃収入を得るための分離独立であるようにも見えます。
しかし、今後は沿線自治体の出資比率が増えるにしたがって独自の経営と雰囲気が強まって行くことでしょうし、何よりも車両面で相当年季が入っている860系を廃して別の車両を導入するらしい……という話もあるようです。とくに、近鉄は860系の後釜になるような18m車を保有していないことから、代替車両は他の私鉄の18m級車両となることでしょう。軌間も1067mmであることから、ひょっとして東急7700という選択もありうる……という妄想すら湧いてきます (^^;)。そこでとりあえず、関東人間の私としましては今後の成り行きを注意深く観察したいところですが、その前に近鉄っぽい雰囲気が残っているうちに是非初訪問をしておこうと思ったのでした (^^;)。
伊賀上野で関西線を下車しますと、同じホームの目の前にさっそく860系がお待ちかね! しかも「くノ一」や「名○コンサルタント」ではなく近鉄標準塗装です!\(^O^)/ それに何と言っても860系といえば……兄貴分にあたる800系は、中学時代の修学旅行の際、京都=奈良間の移動で乗った思い出の車両です。
じつはその当時、「近鉄といえばビスタカー、または紺とオレンジの特急っしょ! 修学旅行用の《あおぞら号》とかもマジで乗りたいなぁ!」という過剰な期待を抱いていただけに、近鉄京都駅に入線してきた修学旅行臨が800系だったのを目にして激しく落胆したものです……。まぁ、所詮は有料車両以外、半鋼製釣掛式電車にしか目が行かなかった愚かなク○○キでしたので、初期新性能電車の奥深い味わい方を全く心得ていなかったのはやむを得ないことでしょう (^^;)。しかし、そんな苦い思い出すら、オヤジの世界に近づくにしたがって美化され (笑)……860系の車内に足を踏み入れた瞬間「懐かしい!」という感激が! (*^^*)
ところが次の瞬間、腹部が突如ウルトラフィーバー状態に (^^;)。そこで、関西線に連絡してすぐに発車する上野市行は見送りまして、伊賀上野駅を出たのち線路沿いにダラダラ歩いているとすぐに着いてしまった新居駅でのカット (1枚目) が、記念すべき伊賀鉄道初撮影となったのでした (そんなヤツほとんどいねぇ……^^;;)。
その後は上野市乗換で一気に伊賀上野へ! 途中の里や街の雰囲気は良く、猪田道駅や比土駅など、途中下車して撮り鉄してみたい駅もあったのですが、時間の都合と光線の関係から省略 (^^;)。明るい曇りの日にのんびりと再訪したいと思っております。いっぽう乗客数につきましては、「関西線連絡列車」と呼ぶべき上野市~伊賀上野間の列車は悲しいほどガラガラでしたが (単行用車両を用意した方が良さそう……)、上野市~伊賀神戸間は各駅で少しずつ客を拾い、伊賀神戸到着時にはほぼ座席が埋まる程度となりましたので、今後の健闘を祈るばかりです。
伊賀神戸に到着しますと、分離前はノーラッチで近鉄大阪線と乗り換え可能だったはずが、今やがっしりとした柵と専用改札が設けられ、きっちりと運賃徴収がなされています。そんな光景を通じて分離の現実をかみしめつつ、青空のもと発車を待つ上野市行を撮影したのでした……。
860系・・・生駒線沿線に母の友人宅があり、前身の820系に数度乗車した事があります。マルーン一色時代にも確か細いラインが入っていたように思います。子供心に「扉がふたつだし、特別な車両なのかな~」なんて思っていました。
近鉄の旧型車系への白塗装は、ボクの心の中では一番苦手としているものなのですが^^;、慣れてしまえば。。と言う感じですねぇ。
狭軌の18m車・・南海の登山車、余ってませんでしたっけ?(妄想)
処で修学旅行ですが私も高校の修学旅行で近鉄を貸し切りました。名古屋⇒宇治山田間です。「あおぞら号」を期待したものの、乗った車両はスナックカーだったのです。
こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
そうそう……800・820系には銀色の細い帯が入っていたものでした。何せ奈良線が大型車化される前の特急車ですから、銀帯がそれにちなむ独特の威厳をアピールしていたのでしょう……。そんな820系改め860系も車齢47年ということで、置換の話が出るのも必然か……という感じですが、もとが非常に丁寧に作られた電車であるために、今でも非常に安定した静かな走りをするのだろうと思います。ちょうど良い車両が見つかるまで、無事に頑張って欲しいものです。
それにしても近鉄の現塗装、関東人でも「パンダ風」がイマイチだなぁ……と思うのですが、関西の方でも同じですか (^^;)。もちろん、慣れてしまえば「まいっか」と感じるのも同じです (^^;;)。
そういえば、南海のズームカーが余ってしまい、平坦地の普通運用に入っているのでしたっけ……。「そんなハイスペックな電車は要らない」と伊賀鉄道は思うのかも知れませんが、輸送費は安そうですね~。
こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
やはり関東人にとって伊賀線・伊賀鉄道は意外と訪れにくい (?) 路線ですよね……。何故なら、まさにご指摘の通り、いつもアーバンライナーでウトウトしている間に伊賀神戸を通過してしまうからです (笑)。
それはさておき、さすが高校の修学旅行で乗車距離も長いと特急車の出番ですか~。セミクロス車はタマ数が少ないでしょうから、修学旅行臨運用というわけには行かないでしょうし、長距離移動をロングシートにしてしまうと近鉄に悪いイメージを持たれるということなのでしょう (^^;)。「あおぞら号」は、何のかの言って大阪周辺の小学生の伊勢志摩修学旅行が一番メインの運用と聞いております。椅子も先代では高校生ですと狭そう……(汗)。
伊賀線の置き換えですが、数年前の話こんな話を聞きました。
東大阪線(けいはんな線)の7000系しか入線できる車体サイズの車両が近鉄にはなく、今度東大阪線に新車を入れたとき、伊賀線も置き換えるという噂を聞いた事がありました。さすがに最近はこの噂を耳にしませんが。
上野は名古屋へは古くから名阪国道経由の高速バスが頻繁に運転されていましたし、最近は大阪へも高速バスが運転されるようになったので、この辺りも苦しいところではないでしょうか。(自分も伊賀線へ乗りに行ったときは往復三重交通)
ところで、近鉄の現塗装ですが、養老線沿線住民から言わせてもらうと、ある意味近代化と冷房化の象徴でした。
養老線の旧型車の420系430系440系は最後まで旧塗装でしたので、たまに名古屋線や京都線などに乗ったときには、なぜ同じ会社なのに塗装が違うのか疑問に思った物でした。
もっとも、現在養老線・養老鉄道はリバイバルという名目で、ワインレッド一色に塗り替えられていますが、リバイバルという名の手抜きなような・・・
こんにちは、コメントどうもありがとうございます。こちらこそお久しぶりです。
東大阪線の7000系、ドアが4つあるはずだと記憶しているのですが……伊賀線に入線できるサイズだというのは初耳です。まあ、関東人である私が疎いだけなのかも知れませんが (笑)。
地方都市から地域の中核都市へ、より速い鉄道路線や高速バスが整備されると、それまでの交通手段は苦戦を強いられる……というのは東西を問わず同じ現象なのかも知れませんね。一旦高速バスに慣れてしまうと、乗り換えを面倒に思うというのも大きな背景としてあるでしょう。
近鉄はとにかく大きな路線網を誇っていましたから、どの電車がどの塗装をまとうかによって、いろいろな見方もあるのでしょうね。現在の養老線が単色になったのは、実際のところコストダウンが最大の目的なのでしょう……。