約1ヶ月前、ジャカルタの日本中古冷房電車草創期における伝説的神サイト『JABOTABEK RAIL NEWS』の管理人にして、現在は日本の鉄道を英語で発信する『Tokyo Railway Labylinth』を運営されているYopie様からお誘いを受け、加えて東南アジアでの鉄道実務の経験をお持ちのU様を加え、都内某所のタイ料理店にて小宴が開催されました。Yopie様とU様、どうも楽しいひとときをありがとうございました!
その席上では、さすがインドネシア・東南アジアの鉄道事情であれば何でもござれなお二人でいらっしゃいますので、日本国内ネタも含めて縦横無尽に回顧・現状分析・未来の展望がなされたのですが、やはりこの手の話をするときにどうしても話題に登るのは、日本の鉄道の変化が良く言えば緩やか、悪く言えば慎重すぎるのに対し、東南アジアは良くも悪しくもテキトーで、一度変わり始めたらイケイケドンドンだということ。そんな東南アジアに対する鉄道面での協力を積極的に進めることが出来れば、中長期的な日本の国益にはつながることは言うまでもありません。しかし、そんなテキトーさ(とりわけ汚職がらみ)は日本側にとって極めて高リスクで、下手をすると日本国内で厳しい責任問題になりかねませんし、もっと大きなリスクとして、たまに相手国側の反腐敗キャンペーンのネタとして現地で逮捕・起訴されるなど指弾の対象にもなってしまいます。
というわけで「いろいろツラいよね、日本……」というぼやき節のうちに、いつの間にか杯を傾けまくり、美味いタイ料理も皿を重ねていたのでした。
それでも、単純に変化ということを見れば、今の東南アジアの鉄道はまさに興味津々な激変期。……いや、そういうことをだいぶ前から言い続けているような気もしますが、とりわけ、1950~60年代以来基本的なフォーマットが余り変わらなかったと思われるタイの鉄道が、バンコク・バーンスー新総合駅の着実な建造やら、日中両国がからんだ新幹線計画 (日本はチェンマイ方面、中国はイーサーン方面) やらで、これからどんどん変わって行くことは疑いありません。
この結果、ホアラムポーン駅は鉄道博物館に転用されることがほぼ決まっていると言われますし、今後ヨムマラートの分岐からバーンスーの間は東線の列車を除いて列車が来なくなるとなれば、暫定的な単線化によって空間を確保し、メークロン線方面につなぐ都市鉄道レッドライン (本命の大動脈) の建設も進むことでしょう。そして、東南アジア最大となるバーンスー総合駅の斬新なイメージとともに、タイ国鉄そのものも大幅なイメチェンに乗り出し、罐も客車もますます中国製の新車を、という可能性もあるでしょう。そのとき真っ先に淘汰されるのは、古典的な風貌が魅力的な4000形DLであり、1940~50年代に日本から輸出された半鋼製客車……。
というわけで、古き良きホアラムポーン駅を中心に、長年親しんだタイ国鉄の雰囲気に触れるのであれば、今年はまたとない最後のチャンスではあるのですが、果たして訪問する時間を確保出来るのかどうか……。たまにしか来ないこの罐をもっと撮り貯めたいのですが。
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