地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

惜別!東横線8000系 (6) さよなら円形HM編

2008-01-20 17:42:18 | 大手民鉄 (東急)


 さよなら運転の1往復目は、白楽での後追いが中途半端な結果に終わってしまいましたが (これはこれで良いのかも)、後続の各停と菊名からの定期特急の乗り継ぎで臨時特急を追い抜き、自由が丘での後追いには成功! その後は一旦渋谷に向かいまして、恐ろしいほどの人垣が群がるクハ8017の情景 (見たところほとんどはコンデジ・ケータイユーザー。写真の露出オート化・デジタル化による撮影技術のハードル低下がこのような光景を出現させたのだなぁ……と改めて痛感 @o@)、そして車内の特別掲示を観察しました。当初、武蔵小杉まで2往復目に乗ろうかとも考えたのですが、やはり車内は会話などのためじっくりと走行音を聴くどころではないだろうと思いまして、一足早く妙蓮寺へ向かうことにしました。
 妙蓮寺での最大の狙いは、カーブの線形をフルに活かして進入時と後追いのどちらもダイナミックに決めること。特に個人的には、クハ8017に掲げられた、元住吉関係者内公募によるリボンや金モールまで付いた素晴らしいHM (桜が配されているのは、桜木町の思い出もともにこめられているのだろうかと予想) を撮りそびれていますので (汗)、決して失敗は許されません。そこで用意したレンズが単焦点50mmF1.4! 暗い曇りでもシャッタースピードを稼ぎ、接近戦による被写体ブレを断固回避しよう……という覚悟で、会心の一撮となりました (*^O^*)。



 しかし……妙蓮寺での撮影を終えた時点で、余りの人出の多さによる気苦労ゆえ、疲労はピークに達してしまいました。ルールを守り、しみじみと8000系の最後を見送る……という方ばかりでしたら良かったのですが、白幡のカーブといい、妙蓮寺駅といい、そういう雰囲気とは余りにもかけ離れ過ぎている……。8000系を心に思っているかどうか分からない有象無象たちの喧噪とともに、8017F最後の元住吉行を見送ることは、決して耐えられないし一生の後悔になる……。そう思った私は、1枚目の後追い撮影の直後速攻で下りホームの横浜方へ移動するのを止め (いや、一瞬そうしようと思ったものの、ほとんど深層心理がそうするのを拒んだという感じでした)、そのまま改札を出てコンビニでビールを購入。静かに名残の杯を交わしながら8017Fを見送ることが出来る場所を求めて彷徨ったのでした。
 フラフラと歩いているうちにふと脳裏に浮かんだ腹案が、妙蓮寺4・5号踏切の中間! ここは、白幡町のカーブのために編成が全部入るわけではありませんので、撮影場所として選ぶことは個人的にもこれまでほとんどなく、マイナーな場所。しかし、ちょうど良い案配で列車を見下ろすことができ、正面と側面をバランス良く写すことが出来るだけでなく、肝心の思い出の場所・白幡町のカーブを画面に入れることも出来る場所でもあります。そういえば幼い頃、親に連れられて妙蓮寺駅前へ買い物に行く際にも、ちょうどこの位置を歩いているときに電車がやって来ると、グイッとカーブを曲がって一気に勾配を駆け上がって行く迫力に、「カッコイイ!」と思ったものです……。着いてみると、果たせるかな先客はごく僅か。しかも彼らは間もなく別の場所を求めて移動してしまいましたので、通過までしばらくの間、思い出の地でたった独りビールを傾けながら、8000系を眺めた幼時をしのんで感傷に耽ることができたのでした……(通過直前にもうお一方が背後に現れましたが、自分と同世代と思しく一安心)。

 そしてついに、最後の時がやって来ました。又しても盛大なタイフォンとともに、急行灯もまぶしく現れた8017Fは、満員の状態で急カーブから直線に入った瞬間バランスを崩したためか、手前に車体を傾けていましたが、それはまるでクハ8017が私に向かって「来てくれてありがとう。東横線ではさようなら!」と会釈しているかのようで、改めて目頭が熱くならずにはいられませんでした……。

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2 コメント

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Unknown (プレ坊)
2008-01-20 02:21:31
おっとっとさんこんばんは、
じっくりとコメント読ませていただきました。。。
コメントを読み共感しつつ後半は目頭が熱くなる思いで読ませていただきました。。。
ホントここ最近、鉄道とはこれほど人の心を熱くさせる乗り物だったのか・・・
と、感じさせられました。。。
幼少の頃の思い出として武勇伝や面白かった出来事などで、思い出すことはあってもなかなか普段の生活や何気なく電車に乗った事など振り返る事もなかったですが、親に手を引かれ東横線に乗車したことや、今はすでに他界しましたが祖父によく電車を見せに連れてってもらった事・・・
そしてその前を主役とばかりにギラギラとボディを光らせて通り過ぎていった8000系の姿など
なにかこう普段振り返る事のなかった思い出が最後の8017Fの話題になると思い出し本当に懐かしくそしてそんな沢山の思い出を残してくれた8000系がもう見られないことに寂しく思います。
そして8000系は自分がこれほどロマンチックだった事を気づかせてくれました(爆)

ブログにもUPしましたが、13日は人ごみの中で更に撮影に終われじっくりと最後の東横線を走る8000系の姿を見ることが出来なかったので、留置中の8017Fの姿を眺めに数日元検に通いましたwww
一服しながらゆっくりともう運用に就くことのない8017Fの姿を目に焼き付けておきました

そろそろ恩田へ回送でしょうかね?
同じ「かいそう」でも、また新しい活躍の場で8000系サウンドを唸らせて快走してほしいですね
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Unknown (おっとっと)
2008-01-20 11:25:07
>プレ坊さま
 こんにちは、コメントどうもありがとうございます!
 いやはや……今回の記事の後半は完全に個人的な話で、しかも文句タラタラではありますが (それでも一言触れずにはいられないほどヒドい雰囲気のパニックぶりに閉口……)、肝心の「鉄道・車両と昔の思い出」についてはツボを感じて頂き、本当にありがたい限りです……。
 人によっていろいろだと思いますが、少しでも記憶の中のあれこれを慕ってしまうココロの持ち主であれば、生まれ育った街を特徴づけてきた線路と車両の輝きの中に、ふと自分のルーツを見つけ出し、思わず熱くなってしまうはずだと思います。そんなことが最近だんだん多くの人に気付かれるようになった結果、いわゆる「鉄道ブーム」にもつながっているのかも知れませんし、どう見ても「鉄」ではない人々もさよなら運転を乗ったり撮ったりすることにもつながっているのでしょう (車内・ホーム・線路脇などで、女性を含むこういう方々をたくさん見かけました)。それがいわんや、子供の頃から心の奥でずっと8000系にまぶしさを感じてきた「鉄」な人種であれば、いっそうその栄枯盛衰にロマンやこれまでの人生を重ねずにはいられないわけで……。
 留置中の8017Fに会いに、元住吉へ日参ですか……ご苦労様です! 長津田または恩田送りがいつになるかは分かりませんが、恩田送りでしたら8019Fと同様、到着後すぐに分割されてしまうと思いますので、編成としてまとまった姿をじゅうぶん眺められたことと思います……。
 何はともあれ、妙蓮寺4号踏切で去りゆく8017Fの姿を見送って以来1週間、心の中にポッカリと大きな空洞が出来てしまっておりまして、仕事にも身が入らず、さてどうしたものか……という気分が続いております (汗)。
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