地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

岩手乗物縦断 (12) IGR直通JRE701系

2020-03-23 09:48:00 | JR発足後の車両


 IGRいわて銀河鉄道では、盛岡から目時まで82kmにわたる長い路線内を走る全ての運用を、非常に少ない所属車両とJR花輪線からの片乗り入れでこなしており、うち一部の列車が八戸へ向かう分だけ青い森701系も盛岡まで乗り入れて来ることになりますが、朝ラッシュ時には4両ものIGR車両が北上まで行ってしまうことから、車両貸借費の清算ならびに盛岡市北部〜滝沢市界隈(大きな工場や大学が結構多い)への通勤通学輸送対応を兼ねて、盛岡色の701系4連が2本乗り入れて来ます。
 そのうちの1本は、一ノ関発滝沢行きの1521M。中線にゆっくりと入って来るシーンを、滝沢駅ホーム先端の「Train Spotters」にてゲットしましたが、行先が滝沢から一ノ関に変わってしまっておりショボーン (^^;)。



 もう1本は、一ノ関発沼宮内行きの1523M。この2本のIGR線内運行距離の和が、2522MのJR線内運行距離と大体同じになるというからくりです。このカットは、渋民駅から御堂駅まで歩いた一日のスタートに撮ったものですが、渋民まで来ると駅舎もバックも本当に雰囲気が良いです☆ 
 そして滝沢〜渋民間では、車窓風景も結構雄大で、かつて特急や客レで賑わった当時の名作写真の数々も生み出されていますが、どう考えても線路用地内に立ち入らざるを得ないようにも思いましたので、80年代くらいまでは線路内立ち入りも自己責任で大らかな対応の時代だったのだなぁ……としみじみ。

 それにしても盛岡色701系は、みちのくの風景に地味にマッチしていて良いです (テレビ局ラッピング車が来なくて良かった!)。鉄コレ701系の続編が出る気配が全くない中、KATOから発売されることに期待しますが、こんな感じで4連もやりたいですので、是非モーターなしの付属編成も宜しくお願いします♡

南海高野線徒歩鉄 (2) 6200系

2020-03-21 22:22:00 | 都市民鉄 (近畿以西)


 南海高野線では6000系の廃車がついに本当に始まってしまい、大きな変動の時期を迎えていますが、東急8000系列の南海バージョンと呼ぶべき6200系は、もちろん全車引き続き活躍しますので、南海高野線を訪れる価値は決して減じることはないでしょう。とゆーか、本当に関西がうらやましい……。
 というわけで、昨年7月に高野街道沿いに徒歩鉄活動した際の記録の続きです (全然アップしてない……^^;)。三日市町から南下した高野街道は、美加の台駅の近くで細い田舎道に入り、さらに千早口へと進む途中、天見川沿いの旧線の跡を見下ろします。ここはかなり水面スレスレで、RP誌の南海増刊号には、豪雨時の線路点検で路盤崩壊を発見し、間一髪で列車を止めたという、手に汗握る懐古談も載っています。



 その後千早口では、駅周辺に残る昔ながらの街道風情を眺め、天見川の清流沿いに歩いたのち、しばし線路から離れて車道を進みますが、再び山里な景色が開けると天見駅界隈に着きます。街道と駅は少々離れていますが、折角ですので駅に寄り道し、橋本方の踏切にて少々休憩がてら2〜3本ほど撮り鉄してみることにしました (笑)。第一志望はもちろん6000系で、もう1本は別形式で来れば良いかな、と思っていたのですが、こういう時に限って6200系が連チャンで来るとはこれ如何に? まあ、8連の急行はカッコ良いですし、小原田入庫を兼ねた (?) 超空気輸送の6連各停もしみじみと味わい深いですが……。
 ちなみにこのとき、大運転の快速急行極楽橋行き2000系が通過して行きましたが、通過する天見駅の時刻表には載っておらず、完全にノーマーク。踏切が鳴っても「難波行きか?」と勝手に思い込みながら飲み物を飲んでいるうちに、完全な見る鉄に終わってしまいました (滝汗)。まぁ、後で撮るから良いか……と。
 この後は、美しい山里をひとしきり眺めたのち、いよいよ紀見峠越え。とは言っても、天見駅との標高差は150m程度ですので、蒸し暑いのを除けば全く大したことはないです。問題は、顔面目がけて飛んでくるウザい小蠅の類…(続く)。

横浜2020新春鉄 (6) 東急8500系

2020-03-20 15:22:00 | 大手民鉄 (東急)


 ここに来て東急2020系の新造ペースが上がっているため、最近は8623Fが廃車となりましたし、先日の8637F恩田出場が東急における8500系最後の定期検査出場となるなど、東急8500系の落日をひしひしと感じるようになりました。武漢肺炎問題に伴う休校措置もあって、8637Fの出場試運転の際における沿線のパニックぶりは大変だったようで、「あ〜、これはもう絶対に、さよなら運転は実施しないな」と確信しました (8000系引退時の元住吉の強力な企画力が発揮されれば話は別でしょうが……)。そういえば、メトロ03系も千代田線6000系引退時のカオスぶりに懲りて、さよならHMやさよなら運転の類は一切実施しないまま消えましたので、残念ながら今後鉄道車両のさよならイベントは激減して行くことでしょう。



 ということは、どんな車両も完全引退まで総じて現役時代の日常そのまんまの姿で走り、そして消えて行くということを意味していますので、なおさら多数走っているうちに撮り納めをしておくに越したことはありません。そういう意味で、「待てば来る」現時点の状況は、8500系の引退を惜しむうえではベストなものなのかも知れません。
 もっとも、個人的には既に相当撮りましたので、最近は通勤時を中心として乗って楽しむことに移行しているのですが、今年の新年には久しぶりに駅撮りしました。相鉄と横浜線に挟まれた里山をハイキングしたあとですずかけ台にゴールしたついでに、ちょこっとカメラを構えてみたところ、立て続けに来てくれましたので、ちょっとしたお年玉気分でした♪ (すずかけ台は東京都ですが、横浜市との境のスレスレですので、表題についてはお見逃しのほどを。笑)
 引き続き、東急8500系が完全引退その時まで、ノートラブル・無事故であることを心から願っています……。

鎌倉街道徒歩鉄録 (4) 相鉄8000系

2020-03-16 20:35:00 | 大手民鉄 (相鉄)


 東海道線を横切った鎌倉街道上道は、しばし東海道線・小田急江ノ島線・横浜市営地下鉄青線に囲まれた起伏の多い地域を縦断します。結構駅から離れた、神奈中バスのみが頼りな地域であるため、東京駅から50km圏内であるにもかかわらず結構田舎臭い雰囲気が広がっていますが、その一角にはかつての横浜ドリームランドの象徴・ホテルエンパイア改め横浜薬科大学図書館もあって、非常に目を惹きます。そのすぐ下を鎌倉街道上道が通っているため、もしドリームランドのモノレール遺構が残っていれば是非立ち寄りたいところでしたが、今は跡形もなし。やがて湘南台駅周辺の都会が見えて来ますと、隣接する横浜市営地下鉄青線と相鉄いずみ野線をくぐり、ゆめが丘駅の西400mくらいの所を通りますので、ついでにゆめが丘駅に寄り道し、記念に「ゆめきぼ切符」を購入がてら、しばし定番のホーム先端で撮影してみました。



 相鉄いずみ野線は、昨年のJR直通開始ダイヤ改正の結果、空気輸送だった日中の特急が廃止され、昼間はほぼ約10分間隔で各停が走るのみとなっています。それすらも、いずみ野・いずみ中央あたりから先は超空気輸送だったりしますが……(訪れた日は、慶應湘南藤沢キャンパスなどの沿線大学が春休みなことも拍車をかけていたのかも知れませんが)。
 そんな中、相次いでやって来たのが、青オレンジ帯の8000系。旧6000系を置き換えるために登場してからあっという間に約30年、未だに新型だと思っていた8000系ですが、今後の20000系新造計画に照らしても、どう見ても新7000系と同様に、一部の編成が廃車となる運命です(既に、衝突事故で台枠が歪み全車廃車となった8707Fという存在もありますが……)。その一方で、8709FのようにYNB化の対象となり延命される編成もあります。というわけで、いま8000系は、新7000系と同様に最も注目すべき存在であると言えます。
 今回の短時間の撮影では、先日離脱し休車となったという(したがって廃車の可能性が高い)8702Fが偶然やって来ましたが、もしかすると別れを告げに来たのかも知れません……。

岩手乗物縦断 (11) IGR7000系その1

2020-03-15 20:03:00 | 地方民鉄 (東北)


 東北の旅・奥州街道の旅は、701系の帯色が変わるのに付き合う旅。新白河から一ノ関までは仙台緑赤、一ノ関から盛岡までは盛岡紫、そして盛岡から八戸まではIGRいわて銀河鉄道の紺黄、盛岡から青森までは青い森色と移り変わるわけですが、とりわけJRE区間が尽きて地方民鉄のIGRに突入すると、引き締まった雰囲気の帯色を目にするにつけ、街道歩きの気分もいっそう緊張感が高まります(何てったって、熊がウヨウヨいる山里に突っ込んで行きますので。笑)。



 そんなIGR所属車は、JRE・青い森で701系と呼ぶのとは一線を画し、IGR7000系を名乗っていますが、さらに大きく分けて、JRからの譲受車・ロングシートの0番台と、IGRとして新造したセミクロスの100番台 (トイレがJRE所属車の1500番台と同様) が在籍しています。残念ながら、昨年秋の奥州街道歩きでも、セミクロス車には乗っていないのですが……(^^;)。
 今回じっくりと徒歩鉄しながらIGR7000系と付き合って初めて気がついたのは、0番台・100番台を合わせても僅か7編成しか在籍していないこと!! 盛岡から目時まで非常に遠い (?) にもかかわらず、そしてラッシュアワーは盛岡口で結構な本数があるにもかかわらず、予備車を除けば僅か5〜6本でどうやって運用を回すのか?!とビックリ仰天ですが、実際に時刻表を仔細に眺めてみると、確かに超カツカツで回して間に合っていることが分かります。701系の凄まじい加減速と最高速度があってこそ、極めて機動的に運用を組むことが出来るのでしょう。701系は東北の鉄道に革命を起こしていたのだということを、今さらになってしみじみと痛感する次第です。
 そんな中、1枚目の画像のように、何と贅沢にも2連2本の4連が北上まで直通してしまうという運用もあるのですが、その穴をどうやって埋めているのか……答えは明らかですが、次回に続きます。