地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

鎌倉街道徒歩鉄録 (1) E217系

2020-03-07 16:03:00 | JR発足後の車両


 鉄道がなかった時代の旅を追体験し、地理や土地柄や風景の見え方を確認しつつ、鉄道のありがたみを再確認する、最高にマニアックな徒歩鉄活動……既に五街道は首都圏の外側に達してしまい (中山道と日光街道はコンプリート)、いっぽう今は周知の通りの事情であまり遠出するのは控えた方が良いと思っておりますので、近場でさっくり日帰りできるルートとして、鎌倉から高崎に至る「鎌倉街道上道(かみつみち・かみのみち)」を歩いてみることにしました。
 神奈川県〜東京都〜埼玉県のあちこちに、思い出したように現れる鎌倉街道という道は、この古道の一部を拡幅して多くの車の往来に供しているものですが、だいたい途中で途切れて「どうやって行けば鎌倉に?」というシロモノとなっています。しかし、その途切れた途中の細い道や山道を拾って行くと、今でも見事に鎌倉から高崎に行けてしまうものなのです。



 そして、途中には自ずと、首都圏西部の鉄道網が現れますので、随所で撮り鉄をすれば丁度良い休憩になります。また、一見すると現在の鉄道網ではネットワークを十分に構成しているとはいえず、相互の往来にはやたらと乗換が必要な都市間であっても、徒歩旅の時代には密接な関係があったのか……ということが分かります、例えば、神奈川県央と東村山・所沢・狭山のあいだを往来するには非常に面倒ですが、直線距離では全然遠くなく、実際そこを鎌倉街道が貫いている、といった具合です。
 というわけで、はじめの一歩は鎌倉の鶴岡八幡宮。西へ細い道をテクテク歩いて行きますと、寿福寺前の踏切があり、そこからしばらく、トンネルの手前までは横須賀線と鎌倉街道上道が並行します。そこで、今年から置き換えが始まり、もしかするとジャカルタに行くかも知れないE217系を撮ってみました。長年、E217系はどうでも良く、写欲の湧かない電車でしたが、もしやKCI色になり、熱帯のジャングルを横目に走るかもと思うとワクワクしますし、昨年末からは仕事の都合で相鉄〜西大井〜東京駅という乗り継ぎをたまにするため、利用頻度が上がってそこはかとない親しみが湧いた、ということもあります。

大井川鐵道2019夏 (2) 近鉄16000系

2020-03-04 18:12:00 | 地方民鉄 (東海道)


 近鉄では間もなく「ひのとり」が運行開始ということで、本当に楽しみですね。とはいえ、80000系大量増備の結果、12200系の廃車が進むことになるわけで、さらに80000系の増備が一段落すれば、長らくほとんど増備が止まったままの一般車両にもテコ入れがなされるでしょうから、近鉄電車は新たな激動の時代へと入って行くことが予想されます。
 そんな中、相対的に車両の動きが緩慢な (?) 1067mmの南大阪・吉野線でも、いずれ16000系の次の特急車が現れることになるのでしょうか。その前に、現役車両は新塗装になりましたので、もうしばらく活躍を続けることになりそうですが……(南大阪線ご無沙汰 ^^;)。



 というわけで、16000系の旧塗装車を楽しもうと思えば大井川を訪れるべし、という時代となりましたが、合計3編成が導入されて元養老線の421+571 (元名古屋線特急6421系) を置き換え、釣掛党の恨みを買いつつ (^^;) 大井川の主役として君臨していたのも今は昔……。16001Fは既に廃車解体となり、16002Fは昨年夏の訪問時、不調につき休車となっていました。そういえば、16001・16002Fが大井川に来たのは1997年ということで、既に約20年の歴史を経ており、それだけ老朽化が進んで部品取り用に回ってしまったということなのでしょう。
 辛うじて現役な16003Fは、ご覧の通りのやつれ具合ながらも、走りっぷりやクーラーの効きはほどほどという感じで、トーマス景気や中国人観光客殺到(静岡空港が近くにあるため)もあって満員御礼な客を乗せて快走していました。そんな姿を眼にして、かつて421+571に向けていたのと同じ熱い視線を、16003Fに注がずにはいられないのでした。


江ノ電303編成・在りし日の勇姿

2020-03-03 00:00:00 | 地方民鉄 (東海道)


 江ノ電300形のうち、カルダン駆動化された編成として305・304編成の画像をアップしましたので、もう1本のカルダン駆動編成・303編成についても、未アップ画像を外付けHDから引っ張り出してみました。本日は3月3日でもありますので……。というか、良い感じで撮影できた画像を、何故約15年もレタッチしないまま放置していたのか、我ながら全くの疑問です (^^;)。



 それにしても、タンコロの車体を流用していながら、304編成のように台枠から広げたわけではないため、細身にして小さな窓が残るまま、張り上げ屋根化されているという、今ひとつ垢抜けないボディが懐かしいです。それに2000年代は、この界隈に繰り出す観光客も多くなく、線路の脇に道路が通っている撮影スポットでも、人かぶりがほとんど無かったのは有り難いことです。