劣化著しい官僚たち。かつての日本の官僚は、平気で政権を動かす横暴なほど能力が高かった。政治家との立ち位置が異なっていたともいえる。かつての政治家は、「井戸塀」といわれるほど私財をなげうち、無収入の書生を大量に抱え、だれかれとなく面倒を見て、気が付けば自宅には井戸と塀しか残っていなかったというのである。
世間しか知らない政治家は、政治機構のプロフェッショナルの助けがなければ何もできなかった。この二者のシステム関係には多くの問題があったが、時代は変わり、政治家は金と名声を求めるようになり、官僚は傲慢ならまだしも身を守ること、省庁を守ることに長けるようになってきた。
政治家が専門性が欠如する一方で無知になり、名誉と金という私欲を前面に出す無教養な人物が主体になってきた。政治家とりわけ自民党は、小選挙区制によって執行部の意向に反する人物が公認されず、モノトーン化し論議すらする必要もなくなった。公認のための服従でもある。その劣化した政治家が、内閣人事局を作り官業の人事権を掌握するシステムを作った。作ったのは安倍晋三である。下手くそ以下の看板を書いたのが稲田朋美である。
内閣人事局は、政治家より知識が豊かで狡猾な官僚を、劣化した政治家が優位を見せつけるためのツールである。官僚にはかつての誇りも矜持もなく、身の保全や出世のためには、権力者に忖度をするしかないのである。郷原信朗が、絵にかいたようなあっせん利得罪と指摘した甘利明すら、何の咎めもなく要職を歴任する。
あっせん利得を行っても、国家の民主主義の財産である公文書を改ざん、隠ぺいすれば、出世が待っている。検察も動かないし司法も忖度っする判決をすることになる。
桜を見る会の一連の政治家と官僚の言訳は、誰が見ても解る幼稚な嘘の積み重ねと言訳のオンパレードである。特に安倍晋三は、前夜祭でなにも飲まずにすぐ帰ったというが、2時間半いたことも支援者たちと乾杯を繰り返した写真も沢山残っている。あったこともないジャパンライフの山口隆祥ペテン師社長は、晋三の父君の晋太郎とは年に何度も会食する仲であり、晋三はそれに付いていたことも解っている。安倍晋三のための桜を見る会の人数枠は、6000名にもなる。
官僚はバックデーターは公文書ではないと、お笑いのネタになりそうな言訳をしている。これ等は森友加計学園などで学んだ、安倍晋三の犯罪・悪事の延長である。犯罪者安倍晋三の悪事は、今後はさらに酷く醜くなっていく事になるだろう。日本の恥である。