この数日で東アジアは一気に右傾化してしまった。それは23日のバイデンと岸田の会談に始まる。バイデンが、「台湾で紛争が起きた場合、アメリカは台湾の防衛に軍事的関与する。」と述べたのである。これまでは、曖昧な表現をアメリカ大統領は続けていた。記者会見では、以前から決まっている方針だというのである。バイデンの失言としながら自民党の右寄りの議員たちは大歓迎である。
これを受けて、数字こそ示さなかったが岸田総理も防衛予算の増額の必要性を口にした。
そして、クワッド首脳会議である。「力によのべているnる現状変更を認めない」という言葉に集約されているが、ロシアによるウクライナ侵略を念頭に置いたものであるが、明らかに中国への牽制である。力による対抗をするというのである。
中国はこれに対抗するため、インド洋の島嶼諸国(モーリシャス、フィジー、ティモール、バヌアツ、キリバスなど)と安全保障条約の締結に動いている。力による対抗は新たな力関係を生む。
韓国の新大統領尹錫悦大統領も、北との融和の時代は終わったと述べている。北朝鮮の無謀で国民を飢えさしてまで行う、見合いる発射や核開発に大きな問題はあるである。しかし、内容に問題にあるとはいえ、核開発を北朝鮮は放棄の姿勢を見せていた時期がある。彼らも本音では経済援助を望んでいる。
国家指導者の威厳が優先される国家を、話し合いすらロクにしないで追い詰めてきた周辺国に反省の弁はなく、更なる軍事的対立と経済制裁しかやらない。
特に日本の安倍晋三は、世界を俯瞰すると言いながら、中国はもとより韓国とも対話することもなく、危機を煽るばかりで現在がある。
力による対立は威勢がよく国民の支持を受け易い。相手が先に手を出したというのが双方の言い分である。
為政者は危機を煽って、愛国主義や国益を訴える。こうしていつまでも紛争や戦争が消えてなくなることはない。内閣支持率が一気に高まったのは、こうしたことが背景にあると思われる。
力の対立、そしてその均衡が平和であるというのは大きな誤りでしかない。ロシアがいい例である。ウクライナを武力制圧するより、経済や文化や人の交流など人的な交流や信頼関係、すなわち平和であることの方が余程安上がりで、国民の心も落ち着く。そのことをロシアもウクライナも知ったはずである。プーチンは決着がつくまで認めないであろうが。
日本国憲法が古いというのは、戦争への認識の浅薄さでしかない。戦争より平和の方が簡単である。多くの人が望んでいるからである。戦争や紛争、たとえそれが自衛を唱えようと殺人行為であることに変わりはない。