かつては大学の入試問題の理科には、物理、化学、地学それに生物があった。今でも大きく変わることはない。それとなく、化学や物理のほうが優秀な人間が選択する風潮がある。理系に行く人たちの多くは、この2科目、化学と物理を選択していたものである。
立花隆が面白い分析をやっていた。実際に入試問題に出てくる原理や法則あるいは説が確立された年代を見ると興味深いことが分かる。物理の場合殆どが19世紀までに確立された法則である。20世紀になってからのものは、僅か10%程度だそうである。
一方、生物の場合は70%が、20世紀になってからのものである。しかも、第二次世界大戦後のものが20%近くあるということである。生物は、泥臭い作業の中に今尚進化、発展し続ける分野なのである。
ここにきて、21世紀に入ってから、脳学と人類の起源については目新しいことが沢山分かってきている。脳はCTなどの検査器具の発展や検査手法の確立などで、人の心の問題にまで迫っている。
人類の起源については、近年の数多くの化石の発見とDNA技術の発展がこれに寄与している。人類の定義は難しいところがあるが、どうやら700万年前に遡るらしい。
興味あるのは、人類は10種ほどはいたらしいということである。現代人のホモ・サピエンスは僅かに生き残った、その中の1種に過ぎない。多くの枝分かれした人類は、ことごとく滅びてしまった。
仮にそれらの人類が残っていたとしても、今でさえ同じ人類でいながらいがみ合っているようでは、武器を発展させた人類は他人類を滅びだせたかも知れない。現実にはそうして滅ぼさせた可能性も否定できない。
少なくとも、現在地上に残る人類は全て同種である。700万年前アフリカの片隅に種を興してから、いくつかの人類を切り捨てながらも脈々と種をつないできた、私たちはホモ・サピエンスは同種である。
私たち同じ人類が、いがみ合い殺しあう理由は生物学的には見つけることができない。同種を殺しあうのは人類だけである。更には、地上の他の多くの生物種を絶滅させたのも、人類である。もう1つ、自らの理由だけで死を選ぶ自殺も、人類しかやらないことである。
人類にとって地球はなくてはならないものである。が、地球にとって人類は不要なものになりつつある。