今日は沖縄が日本に返還されて50年になる日である。
北海道新聞が先週元国会議員の上原康助氏による、沖縄独立論の草稿が見つかったと報じた。「沖縄独立の志」と題する草稿は、日本からの独立が法的に可能か検証し、米軍基地問題や経済政策なども幅広く考察した沖縄独立論であった。「日本政府が納得する独立には一国二制度を選択するのが最も現実的だ」としてかなり具体的ではある。
沖縄を理解するためには、大日本帝国に併合された1872年(明治5年)の琉球処分まで遡及しなければならない。琉球王国は中国と日本の狭間で、この2大国を巧みな外交で乗り越えてきたが、清朝が欧州の列強に疲弊する狭間に日本が強制的に併合したといえる。その後は経済的にも政治的にも日本に従属され、太平洋戦争では悲惨な地上戦に晒され、その後の米軍占領そして世界最大の米軍基地を置かれたままである。返還は通貨などが統一されたに過ぎない。未だに沖縄は占領下にあり、日本の属州であって独立さえしていないといえる。
終戦の翌年の春、北海道駐留のGHQスウィング少将が、設立されたばかりのアイヌ協会の小川佐助ら幹部4名を呼びだし、蝦夷地をアイヌ共和国として独立を促している。古老クラスの彼らは統治能力がなく無理と判断したが、これに若いアイヌん人たちは強く反発した。
前年に農地改革の対象にアイヌを加え、有志が東京まで赴きマッカーサーに土地の返還を歎願している。この場でも独立の意思が打診されている。
小川たちは自分達には統治能力がないと判断し頓挫している。狩猟民族のアイヌ人たちには好戦的ではなく、広大な蝦夷地に散在し民族間の結束もそれほど強いものはなく、長年和人に統治されてきていた。少なくとも琉球ほどのまとまりはなかったといえる。GHQの提案を受けていれば、和人は本土に戻され強大な権力の支援を背景に、アイヌ共和国は国家として存在していた可能性もあった。
旧土人保護法が、アイヌ人の権利と財産と文化と土地を奪った。和人はアイヌから広大な土地をとりあげ、今では千島ですら固有の領土と主張している。
文化も経済力も均等に世界中発展するわけではない。そのことが強国が途上国、弱小国を併合するのである。21世紀にもなって未だに侵略する国家が現存することが哀れでならない。日本が多民族国家であることを、多くの人は忘れてしまっている。