そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

先住民族の同化を成功してから観光資源にする日本

2023-05-09 | 先住民族

太平洋戦争の終結を国内で一番喜んだのが、北海道などに棲む先住民族アイヌ人たちである。農地解放が連合国によって、小作人に農地が戻された。北海道では、給与地返還と農地改革からの除外運動が起きていた。小作地は「旧土人保護法」でアイヌ人に不当に貸し出されたもので、アイヌ人に返還するべきというのであった。これは門前払いをしている。
同じく終戦の翌年にGHQから、アイヌ部族の長が4名呼ばれて、アイヌ独立を打診されている。呼んだのは、北海道と東北を任されていた、ジョセブ・M・スイング少将である。アイヌには独立する能力がないと4人とも断っている。
後日それぞれの部族に戻った4名は、主に若い世代から突き上げられている。長年アイヌを支配してきた日本人(シャモ)の敗北を、多くのアイヌ人はひそかに喜んでいた。農地の返還もその延長とも見える。
しかし、この4人の選択は正しかったかもしれない。既に、クナシリ・メナシの戦いを期に、アイヌ人の同化政策は最終段階を迎えていたからである。言葉も文化も名前も奪われたアイヌ人は、150年経ち民族の意識も希薄になってきていたからである。そして、米ソ冷戦の最前線に立たされていかもしれない。
同化政策の最終段階を早めたのは、「旧土人保護法」である。1899年(明治32年)に「北海道旧土人保護法」を制定した。この法律の内実は、1、土地の没収 2、漁と狩猟の禁止 3、固有の風俗の禁止 4、日本語使用の強制 5、改名して戸籍の獲得 というものであって、日本への同化政策である。本法はほぼ100年後の1997年(平成9年)まで98年間も、アイヌ民族を抑圧してきたのでる。
国連が先住民族の権利を認めるように動き出して、やっとこの法律もなくなったが、日本はキラキラしたた建物を建てただけである。台湾では先住民族のために議席が4つ国会に用意されている。多くの国ではこのような形で、先住民族の権利と誇りを守っている。観光用にか、アイヌのための建物は過去を語るばかりで、現在も未来もない形だけのものでしかない。
現在同じような同化政策が、中国で行われているが、日本のアイヌのように成功した同化政策を手本に、過去の衣類や道具を並べて見せる建物をつくりのか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本の景気低迷と賃金低迷は... | トップ | 新たな冷戦構造を築き固定化... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

先住民族」カテゴリの最新記事