アメリカ生まれの日本文学者、ドナルド・キーン氏が亡くなられた。若いころ日本文学全集を外国人が編纂することに違和感がなくもなかった気もした。東日本大震災の後日本に帰化している。
キーンの日本への美学の概念は、戦時中の通訳時代に兵士の日記によるという。日記は日本の文化であるという。兵士には毎年正月に軍人日記が手渡される。検閲のない時には血糊が着いた臭い日記には兵士の本音が書かれてあり、キーンはそこに日本の美学を見たのである。死を前にした前線の正月に12個の豆があり、3人で丁寧に別けあっとて食べたという。
焼け跡の何もないところで、植えた日本人は食料配給に乱れることなく列を作って順番を待っていた。これを見たキーンは世界のどこにもない光景と感じた。それは先ごろの震災でも見られたと述べている。
キーンの日本の美意識の延長の先には、三島由紀夫がいた。三島由紀夫を世界に広めたのはキーンである、キーンは三島に限らず、源氏物語をはじめとし多くの日本文学を訳し世界に発信している。日本人初のノーベル文学賞に三島を推したかったが、若いために川端康成次に谷崎潤一郎の後に回されることで了承された。三島は自害してそれもなくなった、
キーン氏は三島の自害について、「三島は”老い”を恐れたのだ」という、独自の分析を行っている。
日本人ば本を読まなくなった、特に古典については試験のための道具としてしか教こてなかった。古典は文法を学ぶ道具ではない。アメリカでは源氏物語の4種目の訳本が間もなく出版される人気がある。
「一流の文学は席で最も強いもの。言葉は最後まで残る。」と文学の存在を高く評価する。日本人の我々がすでに失っているのではないかと思われる美意識を高く評価して止まなかったドナルド・キーンの純粋さは、平気で権力に忖度し隠蔽や改竄をくり返す現代日本の権力者の腐臭をどう評価するか知りたくもある。
ドナルドキーン氏の死を悼む。