政府あ1991年に大学院重点化計画を作った。博士課程をほぼ倍に増やし、博士(ドクター)を10年で倍増させた。ところが少子高齢化が始まる次期であり、団塊の世代二世が二度目のピークを終えるころに一致する。先を見ない政策といえる。
折角博士を取得したのに行き先がない。古くはオーバードクターといわれたが、現在はポスドク(ポスト・ドクター)と呼ばれ、大学に部署がないのでフリーターのような仕事をやっているドクターが多い。ドクターの多くは専門職には造詣が深いものの、そうしたアカデミア以外の知識などは浅い傾向にある。いわゆる「学者バカ」と呼ばれて、器用な対応ができない方が多い。しかしそれは昔も変わるものがない。フリーターのようなポスドクは、2015年の時点で1万6千人もいるというのである。
博士一人を作る経費は、数千万円から1億になるといわれている。これだけでも大きな社会的な損失であるが、蓄えられたり求められた技術や真理を葬ることになる。
こうした博士漂流時代は、この10年のノーベル賞受賞者が異口同音に指摘する、基礎研究の重要性と危うさと重なる。次世代を育まない制度。技術大国といわれていた日本は、貧相な国家に凋落しつつある。明らかな失政である。
かつては、「末は博士化大臣か」といわれたものである。総理大臣はバカで無教養で、以下の大臣はそれ以下で自己弁護と忖度と私欲にまみれた恥ずかしい存在になっているが、博士まで育てることができない国家になったのである。