連休入りを前に、身の回りの整理にとりかかる。机の上ばかりでなく床にもあふれた書籍や資料の洪水! 古書店に数台の車に積みきれないほどお引き取りいただいたのも、ほんの少し前なのだが。この頃の古書店は短期に売れそうもない本はなかなか引き取ってくれない。皮肉なことに書店が売れないと思うものほど、こちらの投資額は大きい(要するに、時代が必要としないものばかり読んでいるということ!)。それなら本など購入するのはやめればと思うのだが、老化する脳細胞へのヴィタミンみたいなもので、かなり減らしたが簡単には止めるわけにもゆかない。
細胞再活性化?
整理の仕事は、いつもの通りなかなか進まない。実は、これが結構面白く、あまり嫌ではない。脳細胞が衰えてきて、身の回りの整理は、埋もれていた記憶の再発掘のような効能があるのを、本能的に感じるからかもしれない。
暇ができたら読みたいと思って積んでおいた本や、処分するには惜しいものに出会う。座り込んで、「さようなら」をいうはずの本をまた読んでいる。愛読する作家トレーシー・シュヴァリエのサイトで読書リストを見ていたら、彼女も再読している本がいくつかあるのを見て、安心?したりする。
「さようなら」と言ったはずだが
もう使えないことが分かっていても、捨てるに忍びがたいものがある。今回見つけたもののひとつが、HP200LXという小型パソコンである。1994年頃に購入し愛用してきた。携帯電話が出現する前の製品である。数年前まで使っていたのだが、バッテリーも寿命が切れ、使えなくなった。それでも愛着があり、机の引き出しの片隅に収まっていた。この製品を使い始めた動機は、それまで使っていたHPの小型計算機が優れていたためであった。逆ポーランド方式という演算法が使いやすかった。多重回帰の計算などもかなり簡単にできた。
この200LXなる製品はなんとかポケットに収まるし、つくりが頑丈であった。キーボードは小さいながらも、しっかりとしている。画面はモノクロだが、入力には十分であった。旅行や図書館での使用には最適だった。ややマニアックで愛用者も多数いたようだが、ついに生産中止となってしまった*。その後Jornadaというカラー液晶の後継機も出たが、サイズも大きくなりLXの使いやすさをしのぐことはできなかった。両機種ともすでに生産中止であり、部品サービスも後継機もない。
使わない携帯電話
携帯電話は、いちおう持ってはいるが、よほどの時以外は使わない。電車の中で、皆いっせいに携帯電話を取り出して画面に見入る光景には、いまだなじめないでいる。大都市ではいまや見慣れた光景だが、私には異様な社会病理現象に見える。とても携帯電話で、メールやブログの打ち込みをするつもりはない。これまでかなりせわしない日を過ごしてきたが、携帯電話を使わなくても、仕事や生活面で困ったことはない。
しかし、パソコンはアクセスできないと一寸困ることがでてきた。郵便物の代わりにメールですますという風潮がかなり定着してきた。原稿も手書きは歓迎されなくなった。学会などでは、いつの間にかワープロ・デジタル原稿が前提になっている。
やはり頼りは鉛筆か
ふと思いついたことを書き記すのには、手近かなメモが一番確実で早い。ちなみに、長年愛用しているのは、STAEDTLERのMARSという芯ホルダーである。これだけは、死ぬまで「さようなら」をするつもりはない。また長らく使い続けてきた鉛筆削り(DUX pencil sharpner)も実に良く出来ていて、他の追随を許さない。真鍮の削りだしで3段階の調節ができる小さな製品だが、鉛筆削りとして最低限の要件を充たし、堅牢そのものでもある。こうした製品は見ても美しい。
しかし、少し長いことをメモしておくには最初からワープロ入力ができれば、二度手間にならない。最近はパソコンも随分小さく、軽くなったとはいえ、開いて起動するまでには結構時間もかかる。鉛筆や芯ホルダーのような手軽さがない。
インターネットにつながるなど、余分な機能は必要ない。適度に小さく堅牢な作りで、立ち上がりが早く、入力機能本位の製品をどこかのメーカーが作ってくれないかなあと思っているのだが。それでも最後の頼りは鉛筆かもしれない。
*画像イメージは動いていた時のもの。アメリカには生産中止となったこの機種を買い取ったり、再生してくれる会社があり、一時は頼りにしており、Newsletter まで購読していた。