久しぶりに会った友人が、このブログにアクセスしてくれていた。最初の感想は、とにかく「驚いたよ!」の一言であった。「驚いた」内容は、必ずしも十分伝わってこなかったが、どうも「変なもの」を作ったなあということらしい。
「変なもの」という表現は、実は大変的確なのだ。というのは、ブログを書いている本人自身がそう思っている。あるきっかけから始めたのだが、それまではほとんどブログなるものにアクセスしてみたこともなかった。ただ、老化の進む脳細胞を補填する手段として、日々折々に頭に浮かんだことを覚書、メモ程度に書きとどめる手段を求めていた時、ブログに偶然出会っただけである。ホームページは、運営上も覚えねばならないことが多く辟易していた。近くにパソコンに強い若い友人がいて、そそのかされて乗ってしまった。多少の遊び心も手伝ってスタートしたのだが、この頃は改めて自分でも「変なブログ」と思うようになった。
友人が「驚いた」理由のひとつは、記事の対象が振幅が大きすぎ、なにが出てくるのか分からないことにもあるらしい。その点、実は書いている本人が一番感じている。しかし、それほど揺れているとは本人は思ってはいない。大体、心身疲れた時などにふと浮かんだトピックスが多いだけに、右往左往はしている。その時は、キーワードだけメモしておいて、少し時間がある時に書き足している。 不思議なのは、こうした平常でない時にかぎって、頭脳の片隅に残っていたような記憶の断片が、脈絡もなく浮かんできたりすることである。
そのひとつ、「セントローレンス河をさかのぼる」の著者は、いまだに確認できていない。内容もかなり覚えており、著者名も確かと思うのだが、国会図書館の検索をしてみて該当名がなかった。となると、記憶力が劣化したことになる。「忘却とは忘れ去ることなり。・・・・・・」なのだから、別に差し支えないのだが、少しばかり悔しい思いもする。実は、この件は、ながらく職場を共にした友人、認知科学の大家HG氏に大変近い方が著者ではなかったかと思っていた。いずれお会いした折に確認したいと思っていたのだが、残念なことにこの世ではかなわぬことになってしまった。
ブログを開設してしまって、その始末に困惑しているところもあるが、思いがけない利点もある。それは、記憶力が衰えてきたことを実感している時に、備忘録代わりになってくれることである。途切れ途切れになった記憶の断片を、なんとか結びつけることができることも多い。こんなブログでも読んでくださる皆さんからのコメントでしばしば助けられてきた。予想外に多くの方がアクセスしてくださっている。どなたに読まれているか分からないと思うと、多少の緊張感も生まれる。しかし、基本的には「ティールーム」の雑談のつもりである。もう少し続けてみるか。