時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥールを追いかけて(71)

2006年05月09日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋


ラ・トゥールに影響を与えた画家たち: ロレーヌの画家群像

ジャック・ベランジェ(1) 

  ラ・トゥールの作品を見ていると、この画家も時代の風をさまざまに取り込んでいたことが分かる。一見すると、17世紀前半のフランスやロレーヌの画家、とりわけバロックの流れの中では、孤立した存在であるかに見えるラ・トゥールだが、当時の美術の流れをしっかりと感じとり、熟慮の上で制作に生かしていたことが分かる。比類のない作品の背景には、画家の多くの思索の跡がうかがえる。断片的な記録に残る自己中心的で?、偏屈で頑迷な?人物像の裏側にある画家の精神構造は大変興味深い。この点は、いずれ改めて記す機会があるだろう。

  ラ・トゥールの活動の中心であったロレーヌは、地理上は現在のフランスの北東部に位置している。しかし、17世紀前半までの状況は、今日とはまったく異なっていた。ラ・トゥールの活動していた17世紀前半についてみると、1630年代半ばにフランスに軍事力で支配され、フランスの総督によって支配されるまでは、独立したロレーヌ公国であった。(ちなみに、リュネヴィルがフランス軍によって激しい略奪の対象となったのは1638年のことである。以後、1659年までフランスの総督が統治していた)。
  地理的にも文字通り、神聖ローマ帝国とフランスとの間に位置し、難しい微妙な政治バランスを図りながら、なんとか国家としての自立性を維持していた。この当時ロレーヌ公であったシャルル三世とアンリ二世は、巧みな外交政策で列強の間で存在を確保していた。平和と繁栄が維持され、文化的にも輝いた時代であった。

  17世紀前半、ロレーヌの文化的活動の中心はナンシーであった。かつてナンシーを訪れた時、その華やかな時代の一端に接して色々と思い浮かぶことがあった。そして、機会があれば再び訪れてみたいと思う場所となった。今日ではどちらかというとアール・ヌヴォーのデザイナー、エミール・ガレの名とともに日本では知られているかもしれない。しかし、その昔、16世紀末から17世紀初めにかけての繁栄の時がここでの関心事である。

  ナンシーは今も美しい都市だが、幸い17世紀初め(1611年)の俯瞰図が銅板画として残っている(Friedrich Brentel. Plan of Nancy, etching, 1611, British Museum)。それを見ると、大変美しい城郭都市の全体像が分かる。原図をお見せできないのが残念だが、昔の柱時計を横にしたような形であり、時計の振り子が入る部分は旧市街、丸い文字盤にあたる部分は新市街であり、その間を一本の道路が隔てている。しかし、新旧両市街を含める堅固な城壁で囲まれていた。ナンシーの印象については、あらためて記す機会もあるだろう。まずは、時空を超えて17世紀初めのナンシー、ロレーヌの世界に立ち戻ろう。

ラ・トゥールとナンシー
  この時代のナンシーには、前回記したようにきわめて多数の画家、彫刻家などが集まり活発に活動していた。あのラ・トゥールがナンシーではなく、リュネヴィルに活動の拠点を求めたのはなぜであったかは、大変興味あるところである。同業の画家たちとの競争を避けたのかもしれない。

  ラ・トゥールの生地ヴィック・シュル・セイユには、ラ・トゥールの後年の記録にも登場する画家ドゴスClaude Dogoz(1570-1633)の工房があって、地域の需要を独占していたのかもしれない。ヴィックは今訪れると、静かな小さな町だが、ラ・トゥールの時代はもっと人口も多く、にぎやかだったと思われる。
  他方、ロレーヌ公国の中心ナンシーには多数の画家たちが集まり、若い画家ラ・トゥールにとっては参入の壁が高かったのかもしれない。結果として、妻の生家があり、貴族層とのつながりもあるリュネヴィルを選んだのではないか。しかし、ラ・トゥールにとっても、ナンシーで活躍する画家たちの動きから目が離せなかったはずである。リュネヴィルやヴィックからも20キロくらいの距離であり、生涯に何度か訪れ、戦火を避けて家族も滞在したのではないかと推定されている。
 
名前の残る画家たち
  ラ・トゥールの時代にナンシーで活動した画家は数多いが、そのほとんどは作品や記録が残っていない。ラ・トゥールに影響を及ぼしたと思われる画家たちをあげてみよう。

  まず、今回とりあげるジャック・ベランジェJacques de Bellange (c.1575-1616)、続いて10年ほど後、1587年くらいの生まれでクロードデュルエClaude Deruet ,ジャン・ルクレールJean Le Clercなどがいる。時期はすこしずつ重なるが、ラ・トゥールやカロの時代はその後になる。いずれも、日本ではあまり知られていない画家たちである。余談だが、日本人のフランス美術への関心は、印象派以降に偏りすぎていると思う。この近世バロックの時代、ロレーヌの世界にはあまり知られていないが、多くの素晴らしい画家が活動していた。

  閑話休題。ラ・トゥールに関心を抱いて同時代の画家の作品などを見ていた時に、カロと並んでベランジェの作品に出会った。初めてベランジェの作品と推定される油彩画に接して、かなり衝撃を受けた。決して万人向きではないが、当時はきっと注目を集めた作品だったのだろう。カラヴァッジョに似てきわめて写実的ではあるが、人物の描き方が大変個性的で強烈な印象を受けた。この現存するほとんど唯一に近い作品も、今日ではベランジェの作品のコピーであるとされている*


銅版画家としてのベランジェ
  残念ながら、この画家の油彩画や宮殿壁画などの作品はほとんどすべて失われてしまい、わずかに48枚のエッチング(銅板腐食画)だけが残っている。作品を見ると、きわめて繊細なタッチであり、宮廷風の人々、聖人、世俗の人々などを描いた独特な構図である。宗教的雰囲気を持って描かれたものが多い。優雅に膨らみをつけて描かれた繊細な衣装の線、髪型など一度見ると、好き嫌いを超えて忘れがたい作品であった。
  その中にはラ・トゥールの作品展などに参考展示されていて出会ったものもある。東京町田市の国際版画美術館も所蔵している。マネリスム後期の流れに沿ったきわめてユニークな作品であり、見慣れると、他の画家との区別はかなり明瞭にできる。

  実は17世紀前半のナンシーは、ベランジェ、カロなどの優れた版画家が活動した華麗な時代であった。銅版画家として知られるカロは、1400点近いともいわれるきわめて多数の作品を残している。これに対して、今日に伝わるベランジェの作品はきわめて少ない。その理由はすぐに分かった。

謎に包まれた人生
  この時代の芸術家の生涯は、むしろ知られることが少ない。記録や伝承が残る方が稀といってよい。ベランジェも謎に包まれた画家であった。ベランジェの名前は1602年、ナンシーの公爵領の文書に始めて現れる。公爵シャルルIII世の宮廷画家の一人であったのだ。その後、この画家の名前は頻繁に公爵領の文書に現れる。報酬を受け取った時や特別の任務への支払いが行われた時であり、1602-1616年の間についてそれらの記録が残っている。そして、1616年の末に突然記録がなくなる。この年、1616年にベランジェが40歳くらいで死亡したことを示す短い記録が残っている。

  1602年以前の人生についてはまったく空白で、わずかに1981年に発見された作品について唯一の文書が残るだけである。これによると、ベランジェは公爵領の南に住み、1595年にナンシーで徒弟を採用している。当時、親方として徒弟をとるためには画家は20歳には少なくもなっていたはずであった。これが今日、1575年頃の生まれと推定される理由となっている。ベランジェ自身の記録についてはこれだけしかない。当時、画家を志す者にとって、ほとんど必須の過程であった徒弟時代の記録はなにもない。しかし、誰かの工房で修業したことはほぼ間違いない。
  
  他方、別の記録で1604年に前回言及したクロード・デルエが16歳でベランジェの工房で、徒弟修業のために4年間の弟子入り契約をしたことが分かっている。デルエはベランジェの絵画を引き継ぎ、1620年代にナンシーを代表する画家となった。デルエはカロの友人でもあった。

  記録の少なさにかかわらず、ベランジェは注文の依頼の内容などから判断するかぎり、当時のナンシーでは大変著名な画家であったようだ。人生の後半において、油彩画から銅板画へ転換を図ったのも、より広い範囲へその名を知らしめようとしたのではないか。

*
Jacques de Bellange(attributed to), Lamentation for the dead Christ. Oil on canvas, 116x173cm. Hermitage Museum, St Petersburg. 

Refernences
**
ベランジェの作品(銅板画)および生涯については、Griffiths & Hartleyによる次の文献によるところが多い。この文献は、それまでベンチマークがつけにくかったベランジェの作品について、使われた紙のすかし文様watermarkの研究を通して、制作順位を推定するなど、大変ユニークな研究の成果が含まれている。
Antony Griffiths and Graig Hartley. Jacques Bellange c.1575-1616: Printmaker of Lorraine. London:British Museum, 1997.

冒頭に掲げたイメージは本書の表紙部分である。

ベランジェについては文献は少なく、ラ・トゥールの著名な研究者であるテュイリエのカタログ(2001)もあるが、未見。

コメント
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